かつて陽絶の憂き目にあった時、絶望を希望に変えてくれた救世主はもういない。

 葬儀後、暫くは気を張って悲しみに耐えていたが、佳織の身に付けていた洋服や持ち物など、生活の中に残る余韻が寂しさを増幅させる。

 呆然と窓の外を眺める私の様子を見て、職員たちが心配して声をかけてくる。

 その気遣う気持ちが、寂しさを募らせるが、期待を裏切ってはいけないと、自分に言い聞かせているうちに心に変化が生じてきた。

 敢えて立ち入らなかったパントリーに入り、ワインセラーから佳織の愛飲していたワインを取り出した。

「まずは、キャップシールを切って、そして、ソムリエナイフを時計回りに回して、コルクにスクリューをねじ込むのだけど、その時、真ん中にまっすぐに挿すのがコツなのよ」

 佳織から初めて指南を受けた時の声が蘇った。

「挿す深さは、コルクの底を突き破るギリギリがベストなの。スクリューが真下を向いたままコルクをまっすぐ上にあげるといいわよ」

 当時のことを思い出しながら、テーブルに二つグラスを並べ、ワインを注いだ。

 そのワインを口に含み、前日に下準備したステーキ用の和牛をホットプレートに投入すると、不思議と気持ちが和らいでくるのを覚えた。

「遼ちゃんは、ミディアムレアなのね」

「かおりんは、レアだったね」

「黒毛和牛のレアは、美味しいのよ」

 アルコールが、佳織との世界へいざない、優しさに包まれたまま、ソファーで心地よい眠りに落ちた。

「あの日、面会を勧めたことを悔やんでいる。ごめんよ

「遼ちゃんのせいなんかじゃないわ。私どうしても父に会いたかったの。人生は、いつも好機に恵まれるとは限らないし、タイミングがずれて、取り返しができないことも良くあることでしょう。好機を逃して、二度と手にすることが出来なくても、タイミング悪く失敗しても、常に、前向きな考えでいると、悔いのない人生が送れるのよね。そうした生き方を遼ちゃんは、ずっとしてきたじゃない。自己嫌悪は似合わないわよ。人の優しさを全身で受け止めて、最善を尽くす、そんな遼ちゃん、大好きよ」

 目覚めた時、窓の外はまだ明るかった。

 ゆっくりと流れる雲が人型を形成し、それが恰も笑顔の佳織の姿に見えた。

 

 翌朝、気分は爽快であった。

 暫く休んでいた佳織の遺品整理を再開することにした。

 衣裳部屋の洋服や帽子、かばんなどの小物が整然と収納されている所に、かつて佳織の誕生日に贈った宝石箱を見つけた。

 その中に小さな手帳があり、丁寧な文字で重要な記録が書き留められていた。

 探していた佳織のスマホの暗証番号も記されていた。

 スマホの電源を入れると、未送信のメッセージが見つかった。

 それは、佳織がホテルに隔離されて、六日目に吹き込んだものだった。

 

 私の大好きな遼ちゃん、私、もうだめかもしれない。時々意識が途切れるの。まだ意識があるうちに、最後のお願い聞いてください。遼ちゃんは、寂しがり屋だから、私がいなくなったら、一人で生きていけないのではないかしら。それが心配。遼ちゃんには、まだやることが残っているわ。多くの困っている人を助けることでしょう。そのためには、私に代わる女性の支えが必要よ。その女性は、彩香さんしかいないわ。彩香さんだったら、私、安心できるの。お願い。お願いね。彩香さんは、遼ちゃんに相応しい女性よ。……。私がいなくなっても悲しまないでね。私はいつも遼ちゃんの傍にいます。彩香さんと一緒に、困っている人たちを救ってあげてね。お願いします…………。