前略
突然、お手紙を差し上げるご無礼をお許し下さい。
林田遼太の妻の佳織と申します。
震災から一〇年、さぞかし大変だったこととお察しいたします。
私どもで、できることがあれば、遠慮なくお申し付けいただければとても嬉しいです。
ところで、先の頃は、主人や門田が大変お世話になりました。
そのうえ、弊所の旅行のご案内をしてくださるとのこと、ご厚意に深く感謝します。
その節は、どうかよろしくお願いします。
さて、今日お便りさせていただいたのは、どうしても彩香さんとお話をしたくなったからです。我が家では、一〇年前から彩香さんの話題が良く会話の中に登場するようになりました。主人から聴く彩香さんの心の美しさや優しさに触れると、私自身、洗われるような気持ちになり、是非ともお友達になりたいという願いが日々募り、直接お話ししたくなりました。
主人に相談したところ、「少し待って」と言われましたので、まずはお手紙を書くことにしました。
実は、結婚する前に一度、主人から彩香さんのことについて聴いたことがあります。その時は、若かったので彩香さんへの愛が羨ましくも思いました。
でも、不思議なほど彩香さんに親近感を覚えました。それは、彩香さんの奥ゆかしさに共感し、尊敬の念を抱いたからです。
今も同じ気持ちですので、心の触れ合いができれば大変嬉しく存じます。
お構いなければ、お友達として、お電話させていただけないでしょうか。
益々の酷暑にお身体を崩されませぬよう、どうかご自愛専一にお過ごしください。
かしこ
二〇二一年七月一五日
林田佳織
鈴木彩香 様
七月一五日といえば、感染が疑われた日の前日ではなかったか。
佳織は、一体彩香とどんな話をしようと思っていたのだろうか。
佳織から電話をしたいと言っていた時、させてあげればよかったと悔やんだ。
佳織を失った悲しみに沈んでいた時、スマホに着信音が聞こえた。
携帯の相手を見て逡巡した。
彩香からであった。
着信音はやがて消えた。
「大先生、鈴木さんからお電話です」
吉田理恵は、事務所にかかって来た電話を遼太に回した。
「先の頃は、ありがとうございました」
彩香の声は弾んでいた。
「こちらこそ、大変お世話になり、ありがとうございました」
「お風邪ですか。お声がかすれている気がしますが、大丈夫ですか」
彩香は、かすれ声に敏感に反応した。
「大丈夫です」
あえて元気を装って対応した。
「それならいいのですが……。何度かお電話させていただきましたが、連絡が取れなかったものですから心配していました」
「しばらく携帯を別の場所に置いていて気付きませんでした。すみません」
「またお会いできることが嬉しくて、……。お越しになられる頃には、コロナも少しは落ち着いているでしょうから、事務所の皆様に、お会いできることを心待ちにしています」
「所員たちも楽しみにしています」
「私、奥様にお会いできることが凄く楽しみです。それまでに、奥様とお電話で親しくお話ししたい、と思っています。奥様にお電話してもよろしいでしょうか」
彩香の親密な交流願望は、意外であった。
佳織と言い合わせたかのような表現に、何か神秘的なものを感じ、強い衝撃を受けた。
「妻は、……。コロナで……」
「感染されたのですか」
「はい」
「お加減は如何ですか」
「ホテルに隔離されで、療養していましたが、……」
「病院での治療になられたのですか?」
「はい」
「それはご心配ですね。奥様がお元気になられますよう、一日も早いご快復を心からお祈りいたします」
彩香の言葉は、心に重く刺さった。
「先ほどの件ですが、入院する前、妻も全く同じことを話していました。妻は、来年の慰安旅行で、彩香さんに会えることが楽しみで、それまでに電話や手紙の遣り取りをして、友達になりたいと言っていました」
佳織との約束が、この時になってしまったことに胸が痛んだが、彩香に佳織の願いを精一杯伝えることが責務の様に思えた。
「本当ですか。嬉しいです。私、ずっと奥様とお友達になりたいと思っていましたので、奥様のお身体、とても心配です。どうか、お大事になさってください」
「はい、……」
佳織の死を伝えるタイミングを失い、暗く重い電話になった。