「あなた、彩香さんにお電話したいけど、いいかしら?」

「面識がない女性から、突然電話があれば、身構えるかも知れないね。急な用なの?」

「来年の慰安旅行でお世話になるでしょう。それまでに親しくなっておきたいのよ。本当言うとね、彩香さんには、親しみを感じているので、ずっと前からお友達になりたいと思っていたの」

「だったら、彼女に電話する機会に、その旨伝えておくよ」

「今が、彩香さんとお友達になる絶好の機会だと思うの。お話ししたり、手紙の遣り取りもしたいので、彩香さんへの連絡、よろしく頼みます」

「了解! 電話してみる」

 言葉とは裏腹に、上手く伝える自信はないが、佳織の気持ちは大切にしたいと思った。

 翌日の昼、佳織の父親が入居する老人介護ホームにコロナ感染のクラスターが発生し、入居者全員がPCR検査を受けている様子がテレビ報道された。

「この前、面会出来た時、父さん咳き込んでいたから、心配だわ。ワクチン接種をしていない私にも、感染リスクがあるわね」

 自宅で昼食をとりながら、佳織は不安げな声をあげた。

「感染は、ある程度マスクで防げるとは思うが……」

「絶対大丈夫とは言えないわね。それより、父さんのことが、心配になってきたわ」

 その夜、佳織は三八度の発熱と咳や喉の痛みを訴えた。

 翌朝、保健所から父親が陽性であることの連絡があり、佳織に総合病院で受診するよう指示があった。 

 佳織のPCR検査結果は、次の日の午後「陽性」であることが判明した。

 濃厚接触者にはPCR検査が行われたが、結果は全員陰性であった。

 佳織は、市内のホテルに隔離が決まり、朝方、完全防護服の保健所職員が訪ねて来た。

「奥様の入院の準備が整い次第、ホテルまで保健所の車で送迎いたします」

「同行できますか?」

「同行は出来ません。今後、奥様が陰性になって、お帰りになるまで、接触も一切できません」

 ホテルに着いた佳織は、保健所の職員から簡単な説明を受けた後、書類にサインをして、指定された部屋に向かった。

「遼太さん、私は今ホテルで食事をとっています。隔離されたホテルは、とてもお洒落です。今日は、保健所職員が、保険証や持参した薬の種類と数をメモして、簡単な問診を行いました。ところで、遼太さんには父の情報が入っているでしょうか? 連絡があったら教えてくださいね」

 佳織のスマホから、遼太にメールによる連絡があった。

 面会が認められないため、スマホでしか対応できないのだ。

「退所は早くて発症から一〇日後と聞きました。私は、軽症だから一〇日後には退所できると思います。その間、よろしくお願いします」

 佳織からは、毎日、メールで様子を知らせてきた。

 佳織の父親については、施設から遼太に「日々、快方に向かっている」という連絡が入った。

「父が、快方に向かっていることを聴いて安心しました。私は、まだ本調子ではありませんが、早く良くなって帰りますので、もう暫く待っていてください」

 佳織からのメールはこの日で途絶えた。

 隔離されて六日後、予想外のことが起こったのだ。

 保健所から突然、佳織の病状が激変し、感染症指定医療機関に搬送したと連絡が入った。

 佳織は、我慢強く四〇度の高熱にも耐えていたようだ。

 病院に搬送された時には肺炎を起こし、酸素投与が必要な中等症Ⅱの状態に陥っていた。

 集中治療室が満室のため隔離した病室に運ばれ、治療を受けることになったが、翌日には医師の想像以上に肺炎が進行し、自力での呼吸ができなくなるほど急激な変化が現れていた。

 全身に炎症が出て、集中治療室での治療や人工呼吸器を使った治療が必要となる重症と認定され、熟練した集中治療室での管理となった。

 エクモの治療が開始され、医師や臨床工学技士が二四時間体制で張り付き、看護師も付きっきりとなり、すべてのスタッフの力を結集した「チーム医療」によって佳織の命が守られる体制が敷かれた。

 

      

 

 ICUに入った医療スタッフの懸命な集中治療にも拘わらず、集中治療室に入って二日後、佳織は、肺の機能が回復できないまま逝った。

 

 感染拡大防止のため、遺体は病院からそのまま火葬に回されることとなり、呆気ない別れとなった。

(コロナの対応について、医療スタッフの大変さは理解するが、なぜもっと早く病院で治療をさせてはくれなかったのか。政府や行政は、遺族に対する配慮が余りにも欠けている)

 不信感は、募るばかりであった。

(これまで、傍でいつも励まし支え続けてきてくれた佳織の一生は何だったのか。佳織は本当に幸せだったのだろうか。自分は、佳織に精一杯の愛情を注いできただろうか)

 悔し涙が、止めどなく溢れる。

 葬儀が終わり、一箇月を過ぎた後、佳織の遺品整理をしている中で、彩香宛の手紙が見つかった。