「大先生、お帰りなさい」

 事務所に、吉田理恵の元気な声が響いた。

「彩香さんとの再会は如何でしたか? 例の電話の件についても、よろしければお聴かせください」

「長い歳月を経ての再会だったので、遠い昔を懐かしく思い出して不思議な気持ちだった。震災時にかけた電話の件については、芯の強い女性(ひと)だから、私のことを(おもんばか)って、ああいう言い方になったようだ。心が行き違いにならずに済んで良かったよ」

彩香さんにとっても、大先生との四七年ぶりの再会は、意義深いものになったでしょうね。私が出る幕はなかったです」

 工藤は、安心した表情を示した。

「大先生が彩香さんと再会されて、とても嬉しいです。でも、勝手に段取ったことは、お詫びします」

「いや、門田君と丸山君のお陰だよ。二人の行動がなければ、生涯彩香さんと会うこともなかったから、本当に感謝している。君がここに就職した翌年、法科大学院に入り、修了の年に司法試験に合格して、今また、こうして一緒に仕事してくれていることにも凄く感謝しているよ」

「そう言っていただいて、有り難うございます。私は、大先生のお陰で弁護士になることができましたので、大先生には深く感謝しています」

「実に不思議な巡り合わせだよね。それにしても、今回は世話をかけたね」

「実は、一〇年前、大先生から彩香さんのお話をお聴きした時、もし弁護士になることができたら、彩香さんを訪ねてみようと(こころ)(ひそ)に思っていました。丸山さんに相談したところ、大先生に内緒で、二人の再会の機会をつくろう、という話になりました。そこで、奥様の了解を得て計画を練りました」

「妻も関わっていたのですね」 

「奥様が、少しでもいやな顔をされたらやめるつもりでしたが、大変喜んでくださって、『是非、計画を進めましょう』と言ってくれました。奥様は、『彩香さんと友達になりたい』とも話されておられました」

 

 門田は弁護士になった年、丸山に彩香と会える機会を作って欲しいと依頼していたことがある。

 丸山から門田に連絡が入ったのは、彩香の伴侶の喪が明けた翌年のことだった。

 震災後一〇年を経た春の日、門田は丸山の世話で、郡山駅前のホテルにおいて、彩香と会う機会を得た。

 チェックインを終えた門田は、ホテル側に三人の夕食の準備の確認などを行い、ロビーで二人を待った。

「お久しぶりです。この度は、大変お世話をおかけしました」

「久しぶりだね。元気そうで良かった。今日は、門田君に会えることを楽しみにしてやって来たよ。妻もよろしく言っていた」

 ロビーに現れた丸山は、にこにこ顔で返した。

「ありがとうございます。奥様には、本当にお世話になりっぱなしで、何のお返しも出来ていませんが、どうかよろしくお伝えください」

「伝えとくよ。コロナ感染の規制さえなければ、門田君と外で一杯やりたいところだが、仕方ないね。でも、ここは感染対策が徹底したホテルだから安心して飲めるな」

「そうですね。私も街に繰り出したい気持ちはありますが、次の機会と言うことで・・・・・・。丸山さん、お見えになられたのではないですか」

 そこはかとなく気品が漂う女性が、丸山に近づいて来た。

「丸山さん、お久しゅうございます。お電話で何度かお話ししましたので、ご無沙汰という気はしないですが、卒業以来ですね。お元気そうで良かったです」

「本当に久しぶりです。私は、定年後県の再雇用で三年ほど働いた後、一般企業で七〇歳迄勤めて、今は家で好きなことをしています。お陰で、退職後太りました。私と違って、彩香さんは、相変わらずスタイルも良く、お綺麗ですね」

「丸山さんは、本当にお上手ですね。私も年には勝てません」

「そうそう、紹介が遅れましたが、林田遼太法律事務所の門田君です」

「門田祐二と申します。今日はご無理をお聞きいただき、ありがとうございました。お目にかかれてとても光栄です」

 門田は、緊張の面持ちで自己紹介した。

「はじめまして。鈴木彩香と申します。お会いできて嬉しいですわ」

 にこやかに会釈を返す彩香に、丸山は、門田との出会いや今日に至った経緯などについて説明した。

「今日は、私が良く利用するお店にご案内させていただこうと思っていましたが、次に機会があれば、是非そうさせてくださいね」

「彩香さんは、美しさだけでなく気遣いも、全く変わってないですね」

「丸山さんのにこやかでお優しいお人柄も、少しも変わってないですから、何だか安心します」

 門田は、ホテルのレストランで、二人の四方山話(よもやまばなし)を聴きながら、如才なく振る舞う彩香に関心を示した。

 

       

 

「ところで、遼太さん、お元気ですか」

 興味深く聴き入っていた門田に向かって、彩香は尋ねた。

「元気です。大先生は、彩香さんに会いたいご様子です」

「遼太さんが、ですか」

 彩香は、怪訝(けげん)そうに応えた。

「そうです。大先生はずっと彩香さんのことを気にかけておられます」

 門田は、彩香を真正面から見据えて、真剣な口調で続けた。

「震災の年、大先生からお電話があったと思いますが、そのことについて、彩香さんのご事情も顧みず、一方的で大変失礼な話をしてしまったと、悔やまれていました」

「そうだったのですね。あの時、遼太さんのお声、何十年ぶりにお聞きしたでしょうか。懐かしかったですが、驚いてしまって、言葉が見つからず、十分な対応ができませんでした。本当に申し訳なく思っています」

 彩香は、目を伏せた。

「彩香さん、私も林田も、今でも彩香さんの友達ですよね。友達として一度林田に会ってやってくれませんか」

 丸山は、柔和(にゅうわ)な表情を浮かべた。

「今は、私の気持ちは吹っ切れていますので、遼太さんさえ構わなければ、お会いしたいです」

 四七年ぶりの彩香との再会の背景には、こうした経緯があった。

           

 

 彩香は、郡山駅で遼太を出迎えた。

「お久しぶりです。出迎えていただいて、ありがとうございます」

「お久しゅうございます」

 深々とお辞儀する姿、変わらない話し方や仕草に、再会できた喜びをひしひしと感じた。

「今日は、遠方からお越しいただき、ありがとうございます」

 落ち着いた雰囲気の割烹料亭で、彩香は改めて挨拶した。

「こちらこそ、こうして時間を作っていただき、再会できて本当に嬉しいです」

 彩香を目の前にして、一気に当時の気持ちが甦った。

「震災の年、一方的な電話をして、申し訳ありませんでした」

「その時の電話のことは、良く覚えています。最初の一声で遼太さんと分かりました。遼太さんのお声を聴いた時、懐かしかったです。嬉しくもありました。ですが、何と言えばいいのでしょう。意地というものでしょうか、同情されたくない思いから、よそよそしい対応になりました。私こそお詫びしなければいけません」

 気丈な彩香の思いが伝わってきた。

「とんでもない。謝るのは私の方です。大災害で大変な時、あなたの気持ちを考慮することもなく、一方的な支援の話をしてしまいました。心からお詫びします」

「遼太さんのお気持ちは、有り難かったです。ですから、謝られると困ってしまいます。あの時、私は自分の生活の中に、遼太さんを持ち込みたくないという気持ちがありました。遼太さんには遼太さんのご家庭があります。昔のことは昔の楽しかった思い出として、それでいいと思って電話を切りました。でも、遼太さんからのお電話は、嬉しかったです。本当です」

「私が、彩香さんの気持ちに寄り添うことができていたら、大事な青春時代においても、あなたを振り回すことはなかったでしょう。年を重ねてはじめて、若かった頃の勝手な自分が見えて恥ずかしいです。上野の喫茶店で『女は弱いものですよ』と言われた意味にも気付かず、後悔しました。自業自得ですが、自分が情けなく思いました。これまでのことについて、この機会に、心の底からお詫びします」

「お気持ちは嬉しいですが、私、遼太さんに謝ってもらおうと思って、お会いするといったのではありません。そんなこと、もうすっかり忘れています。心配はご無用です。私は、懐かしい友人にお会いしたかっただけです」

「今回も、独りよがりになりましたが、長い間心にあった謝罪の気持ちを、やっと伝えることが出来ました」

「遼太さんは、昔のままね。全然変わっていないわ。そんな正直な遼太さん、嫌いじゃないわよ。私、遼太さんのこと少しも恨んではいませんから心配しないで。でも、これで良かったの。優しい主人と結婚できて、子どもにも恵まれて、幸せをつかむことができました。いい人生を過ごしてこられたことを感謝しています。そのうえ、今日は懐かしい友達に会えたので、とても嬉しいの。本当よ」

 彩香が気持ちを(おもんばか)って再会してくれたことに、感謝の気持ちを伝えて、帰高したのだった。          

 

「大先生の生き方はとても尊敬していますが、女性の立場からいえば、彩香さんの気持ち、良く分かります。当時の彩香さんは、本当に辛かったと思います」

 吉田は、彩香の気持ちを代弁するかのように言った。

「吉田さんも思うことはあるだろうけど、あの頃は、今の試験制度とは違って、極めて過酷だったから、そうした時代背景を考えると、私は大先生のことも理解できるよ」

 工藤は、解説するように話した。

「過酷な試験だったのですね。でも、再会を認めてくれた奥様の心の広さには敬服します」

 吉田は、佳織の気持ちを慮った。

「私は、再会できて良かったと思っているの。夫が心につかえるものがあれば、私も同じなの。夫婦というのはそういうものなのよ。だから、私から会いに行くのを勧めたの。私は、彩香さんのこと、大好きよ。二人が会えて、お互いに本心を語り合えたことは本当に良かったと心から思うの。この気持ちに、嘘はないわ」

 いつの間に現れたのか、佳織が会話に加わった。

「私、奥様のお気持ちを聞いて、胸がしびれてしまいました」

 吉田は、感動の面持ちを見せた。

「コロナ感染が収束すれば、皆で郡山に行きませんか

「奥様、大賛成です。是非、そうしましょう」

 吉田の賛同する声に、拍手が響いた。