「どこに行こうか?」
「西郷さんを近くで見たいわ」
混雑した上野駅公園口の改札を出てからも、遼太は高揚感に包まれたままであった。
荒川と明治神宮で誓ってから一週間もたたないうちに、こうしてカップルで公園を散歩しようとしているのだ。
(夢なら醒めないでくれ)
信じられない思いで、軽く左手の甲をつまんだが、感覚がない。
つまんだ右手を持ち上げて頬をたたいた。
「どうされました?」
周囲の視線と共に彩香の目が注がれた。
「いや。蚊に刺された、かな」
「蚊がいるのですか?」
「いや」
頭をかいて照れた。
頬は手形の跡がつくほどに赤く染まったが、遼太はその痛みの感覚が嬉しかった。
(荒川は、手を繋ぐぐらいは常識だ、と言っていたな。腕を差し出せば、この中に手を突っ込んでくれるだろうか)
あれやこれやと取り留めのない考えが、頭の中を駆け巡った。
「危ないわ!」
信号は、赤であった。
遼太がたじろいだ時であった。
彩香の両手が遼太の左腕をしっかりつかんだ。
信号が青に変わるまで、ほのかな黒髪の甘い香りに至福の喜びを得た。
夕方の五時を過ぎてもまだ明るい。
広い青空に一本、まっすぐに伸びる飛行機雲が見えた。
もし、ジェット機に代わって空に何か自由に描けるとすれば、腕の中に絡まった彩香の手をもう一方の手で握りしめた姿を描きたい。
青空は、いつしか真っ赤な夕陽に染まった。
「西郷さんって、威厳があるわね」
彩香は、沈みゆく夕陽の中で銅像をしげしげと見つめて言った。
「確かに威風堂々としているね。でもなぜ、勇ましい軍服姿の騎馬像ではなかったのだろうね」
遼太は、単純な投げかけをした。
「初めは軍服着用の騎馬銅像の計画だったそうです。騎馬像にする資金が足りないというのが表向きの理由のようですが、本当は西郷さんの高い人気が、反政府的な機運を生みだすことを恐れて、結局犬を連れて歩く人畜無害な人物像になったと高校の授業で習いました」
遼太は、彩香の薀蓄に感心した。
「この当時、活躍した人たちが、後世に大きな影響を与えたんだね」
「薩長の人たちの名前が教科書に多く出てきましたけど、私は、土佐が生んだ幕末の志士に親しみを感じています」
さりげなく、遼太への親しみを伝えてくれた彩香を愛おしく思った。
