今日もやっちまった | 日刊ぷらすれっど -落書き編- presented by plusRed

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ごくごくありきたりな写真と面白味に欠ける文章でまとめてあるクソ真面目なブログです。”ぷらすれっど”は写真事務所らしい。

面接終わった。


相変わらず変わらない。相変わらず、相変わらずなんだから相変わらずか。昔から僕を知っている人は笑っていると思うけど。


モデル面接なのに写真の話、絵の話。まあ僕の場合は絵も写真だと思っているから同じ。今日話に出てきたのはユージン・スミスだろ、で、面接の女の子が大学でフランス語を勉強してたらしく、フランスのキーワードでエルスケン、ドアノー、アッジェ、だろ。あ、ブレッソン、ブラッサイを忘れていた。アラーキーは必ず出てくる。女の子は蜷川実花、ミュシャが好きだって言ってたな。なるほど、そんな感じがした。似ている。


好きなものはその子なんだな。自分らしいものが好き。らしくなくても外見で内面はらしいんだと思う。持ち物にしても服装にしても字にしても文章にしても。それらがその人を構成するひとつの要素だから当たり前のことなんだな。音楽とか。映画とか。趣味とか。


カメラを持ったのが中学生のとき。高校のときはよく写真を見ていた。カメラ雑誌じゃあなくて月刊PLAYBOY。繰上和美さんとか長濱治さん、立木義浩さん、鶴田義久さん、あー、知っているよ、篠山紀信さん、渡辺達夫さん、野村誠一さん、河合肇さん、加納・・・、限りない。知っているだけだからね。好きとは違うから。んー、写真は上手くなりたいとは思ったけど、最初はストロボの同調スピードも知らなかったけど、被写界深度も知らなかったけど、テクニックより綺麗な写真?綺麗?自分の好きな写真を見たかったのかな。高校生のときは初夏から夏にかけて小鷺を撮っていた。どこにでもいる鳥なんだけど、木の上に巣を作って卵を産んで雛が孵って。白鳥や鶴は首を真っ直ぐにして飛ぶのに何故鷺は首を曲げて飛ぶんだろう。真っ直ぐの方がかっこいいのに。とか思ってた。ゆりかもめの赤い足、セグロセキレイの背中、300mmのレンズを持って川原を駆けていた。動物写真家の岩合光昭さんを知ったのは中学生の頃、嶋田忠さんとか栗林彗さんも好きで写真集も持っていた。あ、栗林さんは持っていないか。


今も写真をやっているのは好きの延長上なんだろうと思った。


好きだから見る。撮る。考える。面接になるといつも女の子にとって写真ってモデルって何だ?と考える。わからない。カメラを持っている人がそれぞれのようにモデルは綺麗な身体というツールを持っているだけでどう楽しもうが本人の勝手。か。カメラを持っていれば皆カメラマン、身体を持っていれば皆モデル。


ユージン・スミスが言った、
「写真はせいぜい小さな声にすぎないが、ときたま、ほんのときたま、一枚の写真、あるいは、ひと組の写真がわれわれの意識を呼び覚ますことができる。写真は小さな声だ。私の生活の重要な声である。」


だから相変わらずなんだよ。


こんな奴ひとりいても害はないだろ。