人は今日も知らず知らずのうちに虫を踏み、花を踏む。
踏んだ本人はその行為に気がつくこともあるけど、気づかずして踏んでいることが多いと思う。
まぁ、数えられるものではないから、絶対とは言い切れないけれど。
仮にも、虫や花に感情があって、人間語――
ここでは日本語としようか。
それで、日本語を話せたならこの世は随分と悲惨なことになると思う。
さあ、想像してみてください。
学校帰りや通勤中。
部活動中でもいいでしょう。
きっとどこかで、そのときあなたは何か生き物を踏みます。
ここで、
―――もしも、虫や花が言葉を話せたなら
想像できましたか?
叫びは聞こえましたか?
ちょっと想像しにくいなんて思う人がいたら、こう考えてみてください。
あなたは、花です。
風に揺られて咲いている、命短しちっぽけな花。
身動きのとれない花。
自分が踏まれる直前。
頭上には大きな足――
あなたは言葉を発せます。
無抵抗で死ぬのは嫌でしょう?
きっと叫びます。
『自分はここにいる。』
それを伝えるために叫びます。
きっと。
でも、現実では花は何も言えません。
いや、実は叫んでいるかもしれません。
―――でも私たちには聞こえない。
そんな花を、虫を人間は無意識に踏み潰してゆく。
花は、虫は、自分達の存在に気づいていないは人間に踏み潰されてゆく。
そんな、一輪の踏まれた花のお話――