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日曜日のミナミさん

IT業界ではたらくアラサー。原因不明の体調不良で休職や転職を繰り返す。発達障害かと思いきや、元をたどれば愛着障害だったのかも!と気がつき、人生を取り戻すために日々奮闘中。闇タイプの私とは正反対で、夫は光属性。まぶしすぎる。

毒母と、毒母似の友達の共通点は「なんでも人のせいにする」ことで、頑なに現実を見ようとしないあたりが酷似している。

でも、なんとなく直感的にこの人たちは本当は心の奥底で「自分が一番悪い」と、自分を責めてる人なんだろうなと感じていて。

なのに口から出る言葉は、その真逆。自分が悪いと絶対に認めない、という不思議。


が、なんとなく今日その不思議な問題が解けた気がする。

自分に自信がない人ほど、口では自分を大きく見せたがるのと全く一緒なのでは?

つまり、本当は自分が一番自分のことを責めている。そして、自分が嫌いだから、周りの人も同じように自分を嫌っていると思ってしまう。(投影してしまう)

自分が自分を責めていて、さらに周りの人もみんな自分を責めている、という世界観はとても苦しい。

だから、自分を守るために一生懸命逆のことを主張する。
私は悪くない、私に非はない、と。
少しでも自分の非を認めてしまったら、「そら見たことか」と周りに責める理由を与えてしまう、と思い込んでいる。

周りからしたら前提条件が違う(本人は周りに嫌われていると思い込んでるが実際はそんなことはない)ために、盲目的に「自分は悪くない」と言い続ける人が奇妙に見えるのでは。


そしてそれは多分、悲しいことに親子間連鎖しやすい。
つまり親が「自分が悪い」という認知の歪みを持っている場合、自分を守るために全て周りのせいにする。子供も含めて。自分の人生がうまくいかないのは、親のせい、夫のせい、子供のせい、と。

子供は物心ついたときから「あんたのせい」「あんたが悪い」と責められ続ける羽目になるため、洗脳されてそれはいつの間にか子供自身の心の声になる。「自分が悪い」「自分のせい」「自分なんか居なければよかった」と。

そして自分の認知が親の呪いによって歪んでいることに気がつかず、自分の子供にも同じことをする。


この不幸の連鎖を断つには、自分で自分を俯瞰し、歪みを直し、克服するしかない。


友達が婚活がうまくいかない理由を頑なに環境や相手のせいにしていた時の「現実を冷静に客観視できていない感」、その違和感のナゾが解けてスッキリ。案の定、彼女の母親もうちの毒母同様他罰的発言を繰り返している人だった。


わざわざこんな難ありな親を選んで困難を抱える人生を選んだのは、今となれば人一倍人の心を観察し理解するためのものだったのかもと思えるけど。
何も見えない答えのない苦しみの中にいるときは本当に辛かったし親を選んで子供は生まれるとかいう話にもむかついてた。自分の人生に一番と言っていいくらい影響を与える人が、もっとも歪んだ人だったことに憤ってきた。


でも苦しさや痛みにとことん向き合ったから分かるようになったことも数多いと思う。その分人に与えられるなにかを得た気がする。


さらに大人になり、親と正反対の、絵に描いたように「健全な心」を実現している人をパートナーにすることによって、自分の人生の課題が明確になったと思う。


心の健全さとは、愛とは、自分を大切にするとは、人生とは、生きるとは、、、生き方をそばでみてるだけで毎日学びを与えてくれるパートナー。

これが人生の決められたシナリオだったとしたら、本当によくできてると思う。


そして若干の同族嫌悪を感じてきた毒母似の友達に対しても、友達にとって良いペースで、少しずつ自分が学んだことをシェアできるといいなと思うようになった。

自分と向き合ったり客観視するのはめちゃくちゃ難しいし、結局自分自身で気づくしかないこともたくさんあるけど、少しでもその答えにたどり着くのが楽になるといいなと思う。


ちょうど去年の今頃、唐突に感じた圧倒的「多幸感」。

なにがあったわけでもないのに驚くほど幸せな気分に包まれて、なんやこれは…!?と戸惑い、それと同時に断捨離欲が湧いてきて1〜2ヶ月かけてバリバリ家の片付けをした。 

ら、年明け頃からあれよあれよという間に人生が前進した。

とにかくこの一年、しばらく停滞していた人生が前に前に進んで、ふと気づいたら毎日「幸せ」になっていた。


不思議としか言いようがないんだけど、まさに一年前のいま感じたあの「多幸感」に近い感覚でこの1ヶ月?2ヶ月?くらいを過ごしてる。まるで、一年前に今の幸せを先取りしたかのような、それに向かってまっすぐ歩いてきたような。


とにかく発達障害だから手立てがほとんどないと諦めていたところから一転、やはりトラウマ性発達障害だったのでは?という仮説から全てが動き出した。先天性の発達障害とは違い、後天的になるこのトラウマ性発達障害は治る見込みがあるという。

トラウマの仕組みについて学び、自分が幼少時代虐待から身を守るために「乖離」していたことがわかった。自分の負の感情を自分から切り離すことで、辛すぎる環境を生き延びたこと。その代償として、大人になってからも身体に残り続ける恐怖心や緊張を感じることができず極度に疲労しやすくなっていたこと。ストレスがかかり続けることで副腎疲労症候群になっていたこと。


トラウマからくる乖離を乗り越えるためにはボディワークが良いと知り、SE,TRE,EMDR,ヨガなどを試した。また、マインドフルネス療法も取り入れてとにかく自分を観察&感じる練習を積んだ。さらに、毎日自分の心や体の状態を記録して後々分析出来るようにしたことによって、色々なことが見えてきた。

春頃から健康・美容関連の仕事を手伝うチャンスに恵まれたことで副腎疲労が劇的に改善してきたし、体の仕組みが勉強できたのも幸運だった。

その後、病気を手放す思考について知り、「神様とのおしゃべり」を読んで思考が現実化することを学んだ。これも考え方を変える大きなきっかけの1つとなった。病気になることのメリットがあるからそれを自分で選んでいるという考え方で、ある意味自分の願望を自分で叶えている状態。だから逆に言えば、自分で手放すという選択もできるということ。

このあたりで、さらに自分に向き合うことの大事さに気付かされ、「とりあえず普通の人のように倒れることなく会社員として働く」という目標が本当に自分のやりたいことなのか??と自問自答し始める。もう、会社には戻りたくない。それが正直な自分の気持ちだったことに気づいた。

組織にはいたくない。でも仕事は好きだから専業主婦というのも違う。社会人になってからずっと苦しんできたけど、心のどこかでいつかこの苦しみが誰かの役に立つ日が来ると信じていたことを思い出す。辛かったけど経験してよかったと思う日が来る、必要だから経験している、絶対に意味のあることだと。だったらこの経験を、同じように苦しんでいる人の道しるべとして役に立てられないか?そしてそれが私のやるべきことで仕事となるのでは?

と思い至った。


現段階での答えらしきもの、が出たのだけど、昔のように焦ってない。すぐにでも動き出したい自分がいる一方で、もうすこし今のままゆっくりしたいって言ってる自分がいるから。そして、そのゆっくり派の自分は、「まずは自分を休ませて大事にしてね。まだ体調万全じゃないから無理しないでね」っていう愛からそう言ってくれてるのを感じるから。


最近は本田晃一さんのラジオを無料のも有料のも聞いていて、「頑張らなくても無理しなくてもいい、ゆるく幸せになれる」という世界観を自分にインストールしてる。このラジオを聴いてると優しい気持ちになるのだ、自分に対しても他人に対しても。そして、いかに自分が無いものばかり数えてたのか気づかされる。幸せな人は、幸せを数えて感謝してるんだな。だから私も真似して、自分がいかに恵まれ愛されてチヤホヤされて生きてきたか、持ってるものを数えて感謝するようにし始めた。ら、幸せな気持ちになった。毎日。どうせ真実なんてどこにもないなら、洗脳だらけの世の中なら、自分の良いように世界を見れば良いだけなんだって気がつけた。そして本当に毎日幸せなのである。

そうやって幸せ幸せってにこにこ感謝してたら、友達からお仕事の旅行の話が舞い込んだり。旅行行きたいなーって思ってたら無料どころかお給料が出る旅行で、しかももっとお話したいなって思ってた友達との旅行。楽しいし幸せ。すごい、やっぱり幸運もニコニコしてる人のところに来たがるんやなって思ったよ。

今ってもしや人生で一番幸せなのでは、と思うくらい毎日幸せなんよな。停滞しまくってた去年までが嘘みたい。本田さんがラジオで言ってた、この世に生まれたのはみんなにチヤホヤされるためって言葉がめちゃめちゃ好き。世界が私を喜ばせるためにあるなんて、なんて素敵な世界観。


身の回りのすべてが自分に学びのメッセージをくれてるっていう感覚とか、人生には無駄なことなんてなくて苦しいことすら後々良かったと思えるようにできてるんだっていう信念とか、そういうのを強く持つようになったら次から次へと大事な学びがやってきた。人は学ぶ、学んで成長するから絶対に未来は良くなるという思いを自分の人生で体現している感じがする。


そしてブログ読み返してて、ふと「あれ、死にたいって思ってない、むしろ毎日ゆるゆる幸せ…!」って気づいたのでちょっと早めだけど一年の総括。体調ゆっくり治して、この長い長い苦しみとそこからの這い上がり方を、いままさに途方にくれてる人に伝えられたらいいな。来年からすこしずつかな。









前にも一度書いたけど、毒母にどこか似ている友達がいる。

毒母とは縁を切ったのに、心のどこかで似た人を求めちゃってるんだろな。

友達は割としょっちゅう好きな人やカレシに「思い当たる節が全然ない」のにフラれている。常識的な共感能力がある人なら、あの言動がまずかったのかなとかあのケンカが原因かなとか思い当たる節があると思うのだが、とにかくその友達は毎度毎度フラれる理由が謎のままなのである。

友達として一緒にいる分には失言とかしてるイメージはあまりないし性格も別に悪くないと思うが、なんだかやたらと恋愛音痴。思い当たるとすればひとにあまり興味がないというか「自分、自分」なところがあって、それが友人関係より数倍高度なコミュニケーションが必要となる恋愛においてあだになってるのかもなぁというかんじ。

話す話題も9割がた友達自身の話で、向こうから私に興味を持って何かを聞いてくることはほとんどない。と、いうことに友達自身が気づいてないのがちょっと怖い。半々くらいに思ってる。

それと同じ態度で彼氏にも接してるんやろな。相手に興味あるようで自分にしか興味なくて、自分の話ばっかりしてるんだと思う。自分の世界が強過ぎて、そのままのウットリな気持ちの勢いでいきなり結婚を迫る発言をしてる可能性も高い。

そしてそのうまくいかない恋愛に関して、自分に何か悪いところがあるのでは?と考えないあたりがものすごくうちの母親似なのである。

うまくいかないのは周りの人達のせいで、自分は悲劇のヒロインと思い込んでしまうあたり。なのにたぶん、実際には逆で自分が人一倍周りの人を傷つけてるところ。自分で精一杯すぎて他人の心の痛みには超鈍感なところ。サイコパスみを感じるほどに、他人の感情や言動に鈍感なところ。

そっくり過ぎて、ほっとけないんよなー。なんとかしてあげたいと思ってしまう。

毒母と縁を切ってるのに、擬似的につながろうとしてしまう。とはいえ友達は私に対しては全然攻撃的じゃないから一緒にいて苦ではないし、母親といるよりは百倍マシなんだけども。


なんか、その友達が本当に好きな人とうまくいったら、同時に母親を救ったような気がするのかもしれない。「あ、自分にも悪いところがあったんだ」と友達が気づいて、周りのせいにするのではなく自分で道を切り開くところを見てみたいと思ってしまう。

なんか、変な心理だよなーと我ながら思うけど、本当にほっとけない。他の友達とは一緒にいて楽しいから仲良しでいられるけど、彼女に対しては楽しいとか尊敬とかいうよりも「この先どうなるのか見てたい」的な気持ちなんだよな。人として好きかと言われると微妙…毒母似で嫌いな部分も結構多い、けど自分と似た部分も結構あるから分かり合えたりもするし、ほんとに不思議な感情だなー。