日曜日のミナミさん

日曜日のミナミさん

IT業界ではたらくアラサー。原因不明の体調不良で休職や転職を繰り返す。発達障害かと思いきや、元をたどれば愛着障害だったのかも!と気がつき、人生を取り戻すために日々奮闘中。闇タイプの私とは正反対で、夫は光属性。まぶしすぎる。

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7月、自分の誕生日の2日後に、人生で怖いことベスト1だった出産を乗り越えて母になった。

 

だって「自分の体から人間が出てくるってどういうこと!?!?」という身体的に何が起きてるかよくわからない恐怖と、

ほとんどの経験者が死ぬほど痛いっていう陣痛や出産の痛みへの恐怖と、

そして精神的に「人の親になる」という重圧への恐怖、

 

経験したことのない色んな怖さが全部、一気にやってくる。

 

その上コロナの影響で立ち合い出産も面会も全て禁止で、夫と1週間も隔離されて人生最大かもしれない試練を一人で乗り越えなきゃいけない。

 

とはいえ無痛分娩を選んだので、結果として出産自体は全く痛みもなくすんなり安産で、分娩台乗ってからわずか5~10分で生まれたし赤ちゃんも元気だったので我ながらあっぱれな出産だったと思う。笑

 

むしろ、予定日が7月末で計画出産日がその2週間も前だったので、それより前に生まれるパターンは想定しておらず、計画出産日よりさらに前倒しで陣痛が来た時「また前駆陣痛か〜」と勘違い。一晩も本陣痛を我慢してしまったのでそっちの方がよっぽど痛かったwww前駆陣痛にしては全然おさまらないし、時間的にも結構長いな〜?と思って早朝に一応病院に電話確認したら本陣痛じゃない!?ってなりあまり心の準備が出来てない状態で急遽病院にいくことにwww

 

だって、ネットで調べたら前駆陣痛と本陣痛の痛さは全然違うので絶対に区別がつくとどの記事にもあったから・・・

 

私の場合は前日にも前駆陣痛があって、その痛みと似てる気がしたんだけど、徐々に強まって来てたから多分痛みに慣れちゃって「噂に聞くほど、我慢できないほどの痛みじゃない。。。」とずーっと思いながら一晩我慢してしまったのだwあと、子宮内膜症を経験してたり生理痛が普段から重め?な方だったのもあって痛みの経験値を積んであったのかも。笑

 

病院がとおいから、行って帰されるパターンだとしんどいな〜という思いもあったけど、結局病院着いたら2分間隔になってた。その時点でも割と立ち歩いてたんだけども。ビビり倒してたけど、自分で思ってるより痛みに強い人だったのかもしれない・・・w

 

 

 

 

臨月に入ってからの急な死産の話や胎盤剥離の情報に怯えながら、1日1日、「今日も何事もなく無事にお腹の中にいてくれてありがとう」と感謝をつないで迎えた出産。毎日自分の中で奇跡が起きてるんだなぁと、まだ会ってないけど可愛くて尊い自分の赤ちゃんをお腹の上から撫で撫でした日がとうとう終わった。

 

麻酔を入れて促進剤を入れて、お産が進むのを待っている間、ずーっと心の中で赤ちゃんに話しかけてた。

 

この世界は辛いことも苦しいことも、汚いことも理不尽なことも、色んなことがあるけど、それを上回るくらい素敵な人がいっぱいいて綺麗なものがたくさんあってワクワクできることがたくさんあって、最高にキラキラしたところだよ。君のことを私が幸せにすることはできないけど、人は自分自身を幸せにすることしかできないけど、でも幸せになるように全力でサポートする。私に世界が素敵なところだと教えてくれた人がいっぱいいるように、きっと君にも教えてくれる人がいっぱいいる。だから、お腹から出る時は怖がらないで。君は幸せになるために、この世界を楽しむためにここにやって来る。だから大丈夫。一緒に頑張ろうね。って。

 

その声を聞いてくれたのかわからないけど、ほんとにお産の進みが早くて生まれる時もすうっと出てきてくれた。

 

元気な産声と共に出てきた、想像よりずっと小さな我が子を見た瞬間「やっと会えた!!!」という思いと、何より子供が無事だったことにホッとして涙がボロボロ出てきた。

 

妊娠期間中は我慢の連続で大変な思いもしたけど、一人っきりの出産は怖かったけど、やっぱり君に会えて私は最高に幸せ。母親にしてくれてありがとう、無事に健康で生まれてきてくれてありがとう。

 

 

母になってから、今まで知らなかった色んな気持ちを知ったよ。

 

むしろ子供を持つことにはネガティブな思いが強くて、心配事や怖いことだらけで、できることなら身軽でいたかった私だけど、そういう全部をひっくり返すくらい小さな命が尊い。

 

これが単なる生物としての本能とか母性なのかもしれないけど、でもなんというか、命って素晴らしいなってシンプルに心の底から思えるようになった。

 

どうか自分の子供が苦しい思いをすることが少ない人生を送れますように、たくさんの人に大事にされて愛されますように。健康で笑顔で、幸せに生きられますように。

 

私たち両親は、とても君のことを大事に思っているけど、きっとずっと一緒には生きられない。最後までずっと守ることはできない。でも、「愛された記憶」を少しでも多く持っていて欲しい。それが人の安全基地になって、その人を強くするということを知っているから。まだ生まれて一ヶ月もたっていないけど、人は生まれてから全ての記憶をちゃんと持って生きるらしい。思い出せないだけで。

 

思い出せなくても良い、そういう素敵な記憶が人を支えることがあると思うから、愛情を伝えられるだけ伝えたい。

時間を超えてその記憶が子供を守ってくれるって、なんか魔法っぽくて素敵だよななんて思ったり。

自己満かもしれないけど。笑

 

人の幸せをここまで強く、心の底から思うことって他にないかもしれない。

親になって、というより親にしてもらって、そう思う。

 

親が子供に教えられるのは単純に「この世界の」仕組みやルールだけで、本当に大事なことは子供から教えてもらう方が圧倒的に多いのかもなぁと思う今日この頃。

 

 

人間としてもまだまだ未熟な母ですが、できるだけ人として対等に君と向き合って、この世界では少しだけ長く生きた先輩としてできる限りのことはしたいし、たくさんたくさん愛情を注ぎたいと思っています。

すでに産んだ時よりひと回り大きくなっていることに嬉しさと寂しさを感じてる母だけど、1日1日を大切に過ごして行きたいな。

これからよろしくね。全力で「生きること」を楽しんでください。素敵な世界にようこそ!!

 

 

ここ1年くらい、「幸せ」ってなんだろうってことを色々考えたり勉強したりしてきたんだけど、

結局「幸せ」って気づく能力とか受け取る能力なんだなと思うようになった。

逆に不幸な状態の時って、嫌なこと辛いこと苦しいことばっかりキャッチして勝手に辛くなってる。

人は不安と感謝を同時に感じることができないらしいのだけど、まさにそのどちらを自分が選ぶかが大事。

なんでもない、当たり前だと思っていることが実はすごく恵まれてて素敵なことだと気がつけるかどうか。気がつこうと努力できるかどうか。

理論としてはわかるけどなんとなく腹落ちするようなしないような…という状態だったんだけど、やっと実践して本当にストンと納得できたのがここ最近。

たとえば、みんなお金持ちになりたいって願ってるのはなんでかといえば、究極的にはお金持ちになれれば幸せになれると思っているから。つまり、みんなのゴールは「幸せ」になること。お金は手段でしかないんだよね。そしてよくよく考えてみると、その「幸せ」状態を手に入れるための手段って実はお金がなくてもできることだったりする。

先日、めちゃめちゃ稼いでる人のリアルな日常をYouTubeで見たんだけど、意外と私たちとそんなにかけ離れてないというか、普通だったんですよ。でもその人にとってはそれが望んでいること全てだし、それ以上なにかを望んでいるわけではなくて満たされている。で、主に何をして暮らしてるかというとさらに年収をあげようとして仕事してる。

つまり、もうある程度稼げるようになってくるとお金は単なる数字にしか見えなくて、でもさらに工夫したり努力することでその数字が上がっていく、そのプロセス自体が楽しいんだと思う。

そして、なんとなくその気持ち分かるな、と思った。自分がこの人のようにめちゃめちゃ稼げるようになったとして、たしかにそんなに今の生活はガラリと変わらないんだろうな。ってなった時に何するかっていうと、やっぱり新しいことを学んだりスキルを身につけたり何かにチャレンジすると思う。

自分が進化していく過程そのものが楽しくて、逆にいえばそれって今すでにやってることじゃんと気がついた。それって要するに、もう理想の生活をしてるってことじゃん。何かが無い(=スキルや知識が無いとか、出来ないことがあるとか、自分に欠けているものがあるとか)状態すら自分を幸せにしてくれてるんだと突然気がついた。


そうなると、お金と幸せの問題ってわたしの中で割と解決しちゃった感じはある。


それに加えて、自分の今までの苦しみってほとんど「こうでなければいけない」という強い思い込みから来てたことに気がついた。

たとえば長年、「大企業に入って仕事で活躍して高給取りでなければならない」と強く思い込んでいたせいでそれができない自分が悔しくて苦しくて何年ももがいた。けど、散々倒れまくってやっと「その夢は叶えられない、無理。っていうかよく考えたらそれって本当に私が心からやりたいことだっけ?」と視野を広げることができた。普通に会社員として生きる以外の選択肢が、やっと見えてきて少しずつ楽になってきた。

これまでの人生で苦しかった時って、かならず視野が狭くなって思い込みまくって「こうじゃなければ、死ぬ」くらいに盲目だった。

多分その根底は「自分は無価値だから、人に評価されなければ死ぬ」という価値観で、親に刷り込まれたモノなんだけど、絶縁することによってやっそこから逃れることができてきた。まだ完全では無いけど、とにかく自分を許しまくって受け入れまくる練習中。

「しあわせな人はわがままで、我慢なんかしない」ていうメッセージをやたらと色んな本やブログから受け取ってて、それはまだガッツリ腹落ちしてはないんだけど、でもそれもいつか納得できる日が来そうだな。

なんとなく、「楽して幸せになっちゃダメ、いつかしっぺ返しがくる」みたいに思い込んでたけど、それも無駄な思い込みな気がしてきた。べつに、楽に幸せになっていいんだ。苦労して幸せにたどり着かなくても、ふわふわっと肩の力抜いて周りの人に手伝ってもらって楽に幸せになっていい。それだって自分に対する「許し」だ。


自分が生まれてきたのは幸せになるためで、願いを次々叶えるためで、チヤホヤされて愛されるため。って思うと、すごく人生バラ色だしなんかワクワクする。生きる目的なんてそれぞれが自由に考えていいことなんだから、生きてて楽しいと思える考え方を採用しようと思う。


まだまだ無意識に我慢しなきゃとか苦労しなきゃとか人に頼りすぎちゃダメとか思ってしまうことはあるけど、一つずつ手放して楽になっていこう。そのプロセスすら、楽しみながら。

電話をブロックしメールをブロックし、

何箱かに分けて送ってきた(手紙もメモもついてない無言の荷物攻撃)アルバムやら昔の作文やら成績表も受け取りはしたがこちらから特に連絡返さず、

手紙も無視し、

スマホに変えたタイミング?なのかLineで連絡してきたからブロックし、

こんどはインスタフォローしてきた。


もちろん奴がメッセとか送ってくる前に秒でブロックしたけど、

率直に言ってキモイ。

キモさが、ストーカーに感じる種類と全く同じ。

好意が一方通行で、こちらの気持ち一切無視で押し付けてくる感じ、なんらかの反応を待ってる感じが似ててキモイ。無言の荷物攻撃とか、連絡無視してたら最終的に空メール送ってきたストーカーと似すぎててやばい。


ふと気がついたけど、今って実家とは隣とはいえ県を跨いだ場所に住んでる+旦那さんがいるからうちまで押しかけて来てないんだ。

上記のストーキング行為は全て母親によるものだけど、母は電車がわからないという理由で東京に出るのが怖いらしく、基本的に1人で東京に来れない。渋谷に2人で行った時みっともないほど人混みに怯えて私の横ではなく後ろをずっとついてきたくらいの臆病者かつ田舎者(の、わりに自分は横浜の人だと鼻高々に言うし田舎者をかなりバカにしている)なのである。ギリギリ横浜市の端っこの田舎住まいで横浜駅とかみなとみらいとか、ガチの横浜の中心地にすら一人でいけないんだけどね。

まぁとにかくそういう奴だから「娘への執着<都会出るの怖い」らしく、ある程度都会に住んでる限り安全。

ただね、ふと気づいた。父親を私の家に派遣させる命令をだしてる可能性は高い。っていうかやってると思う。実際学生時代とか一人暮らしのときは何回かこの手使われたし。自分が行くのは怖いが、娘への執着はあるので、父親に命令して押しかけさせるという作戦。

父親は何にも執着がない放置型人間なので大してわたしにも興味ないんだが、母がヒステリックに「子供に愛情はないのか」とか「ふつうは関心持つ」とか「アンタは人として冷たすぎる」とか絶叫して責めるからめんどくさくて命令を聞く、みたいなかんじ。

で、なぜ結婚してからその父親おしかけ攻撃がないかというと、多分旦那さんが抑止力になってるんだわ。

父親も人見知りというか友達いないタイプかつ臆病者なので、母と違って一人でどこかに出かけるのは苦にならないようだけど、さすがに他人=私の旦那がいる家に押しかける勇気はない模様。旦那に強めに追い返されるかもしれない(もし戦ったら歳が若い旦那のほうが勝つ可能性高いしね)怖さがあるなら、妻のヒステリーを聞き流すほうがまし、と臆病な腹の中で算段してるんでしょう。


そういう目に見えてなかった抑止力もあったとは、いろんな意味で守ってくれてる旦那さんに感謝感激雨嵐ですわよ。

もし今まだ私が独身だったら絶縁しても押しかけてただろうなー父親。


そして私の幼なじみとか未だに実家と同じマンションに住んでたりするしガッツリ顔見知りだからそういうルート使って接触してきてもおかしくなさそうだけど、それができないのも臆病者出ちゃってるというか「絶縁されてるなんてバレたら、なんて思われるんだろう」という保身から来てるんだよね。旦那の両親とか旦那とかのルートも使おうと思えば使えるだろうに、同じくなんて思われるか怖くて使えないあたりもキモイよなー。基本それしか考えてないんだもん、「私ってみんなにどう思われてるかな」ってさ。どうも思ってないとしか言いようがないけどな。

まぁでもその異常な気にしいのせいで私の周りの人にちょっかい出さないでいてくれるのは結果的にいいことだけど。

ただね、子供生まれたらちょっと気をつけないとなと思った。子供ルート作ろうとしてきたらたまったもんじゃない。ふつうに何してくるか分からなくて危ないし。私にとって弱点になりうる。

そう考えると横浜付近に住むのは危ない気がしてきた。母が少し電車に乗る勇気を出せばこれちゃう距離、は危ないかも。県外なら来れない可能性高いけど、市内となるとな…。


国外に移住したくなる私の気持ちの根本てもしかしたら親から逃げたい呪いから逃げたい気持ちから来てるのかもしれない…英語使わなきゃ来れない国外なんて、絶対来れないもんなー毒親。