plumです。

 

52歳、主婦。

 

現在はフラワー商品の製作、販売をしています。

 
 
 

 

 

 

初仕事の紅葉祭りでは調子に乗って食べ過ぎて本番前にダウンするという失敗をしたものの、後から思えば一年生のうちはまだまだ気楽なものでした。

 

なにせ人数が足りなくて、オケもブラスもない。そういう本格的な演奏会をやる機会がなかったので。

 

 

夏から行き始めた中学校がたまたま上手な学校で、支部大会にまで進めたのを受け、同じ町内の別の中学の先生が

 

「うちにも同じメンバーで教えにきてほしい」

 

と言い、それからというもの何年にも渡って、土曜日午後はA中学、日曜午前がB中学 というスケジュールで過ごすことに。

 

もう、土日も含め、大学の仲間と会わない日が一日もありません。

特に、B中学の「日曜の午前」というのが、朝に弱い私には非常に苦痛で、ボーっとした頭のまま大きな音の打楽器のレッスンをするのがしんどかった。

 

 

ある日、師匠が言いました。

 

「君は打楽器が一人しかいなくて、先輩も後輩もいないから打楽器アンサンブルができない。少しだけでも打楽器アンサンブルの経験をさせてあげたい。自分が非常勤で行っている私立音大が今度アンサンブルの演奏会をするから、それに賛助出演の形で出してあげる」

 

 

ずっと一人でやっていた私を見て不憫に思ったのでしょう。師匠が別の音大に話をつけてくれていました。

 

 

しかし。

 

その私立音大というのが

 

岡山の大学

(*_*)

 

作陽音楽大学(現・くらしき作陽大学)でした。

 

中国地方というのは私にとって全く馴染みのない場所で、それこそ中学の入院時みたいにいっそ九州までなら行ったことはあったのですが、岡山で下車してそこから単線の電車に乗り、、、

 

師匠から行き方を説明されたものの、どんなところか全く想像もつかないところへ一人で行くことになり、不安でいっぱいでした。