plumです。
51歳、主婦。
現在はフラワー商品の製作、販売をしています。
神経質ゆえの少食で、当然ながら体力がなかった私は、学校生活のほとんどすべてが苦手なことだらけでした。
◆朝礼で立っていると気分が悪くなる。。
→今ならわかります。起立性低血圧ということが。
しかし、このころは「自律神経失調症」なんて言葉、医者でもほとんどの人が知らなかった時代。
採血とかで異常値がなければ、なんでも
気のせい
の一言で片づけられていました。というか、そもそもそんな症状で病院にかかるものではありませんでした。仮に病院に行っても、小学生の血圧を測る医師はいませんでした。
◆常に便秘気味でお腹の調子が悪い。ちょっとしたことですぐお腹が痛くなる。
→これものちに、過敏性腸症候群と判明します。
体力も筋力もなく、常に青白い顔をしてヘナ~っとした子供でした。
とにかく「体力に余裕がない」ので、そういう人間というのはどうしても精神的にも脆く、神経過敏になりがち。
特別体調が悪くなくても、先生にひどく怒られたり、怒られているのが自分ではなくても怒鳴られている子を見るだけでも自分がドキドキして倒れそうになる、今でいう「繊細さん」です。
小さいころから本をよく読んでいたのと、再三書いている通りピアノのスパルタ教育の賜物で、国語と音楽だけは成績がよかったものの、他はパッとしませんでした。
なかでも、身体能力が著しく低かったため体育はまったくダメでした。
体力が無いだけでなく、元々の運動センスが全く備わってなかったため、球技は全部ダメ、水泳は全身運動がしんどくてダメ、、、という具合に、ほとんどがダメ。
マシだったのは、センスがあまり影響しないただ走るだけ、とか、身軽さが功を奏する鉄棒くらい。
体重がクラスで一番軽かったため、組体操では全部一番上でした。
※余談ですが、↑を大学時代の友 Cちゃん(私とは対照的に子どものころから大柄体型)に話したところ「私なんて組体操はぜんぶ土台だった」と、不服そうにしていました。土台ばかりも確かにビミョ~ですね
暑いといってはフラフラになり、寒いといっては顔面蒼白で震えがとまらなくなり、とにかく「環境に適応する」ことができない。
特に、自分が本当はやりたくないことを我慢している状況だと必ず気分が悪くなっていました。繊細ゆえなのですが、どうしても「わがまま」としか思われないんですよね。
義務教育のうちは本当につらかった。
与えられた環境で「これをしなさい」と言われたことをおとなしくやって、それもみんなと同じレベルでやれと強制され。
で、こういう「虚弱な子」は好かれない。
先生からも、友達からも。
みんな「明るく快活な子」が好きなのです。
・・でも、本当にそうでしょうか?
虚弱な子は生きている価値ないんでしょうか?
そんなことないですよね
今はわかります。
この繊細さを活かす生き方を探したらいいんです。
確かに「繊細すぎる」っていうのはとても生きにくいし、本人はしんどいです。
あらゆる刺激を遮断して生活することは実質不可能なので。
でも、可能な限り苦手なことを排除するという、一見後ろ向きにも見える対策をとって、自分が平穏でいられる環境を掴み取れば繊細さを生かす道はあります。
自分の意志で環境を変えられない子供時代は確かにつらい思いをたくさんしますが、逆に嫌なことをたくさん経験しなければならない環境に置かれることで
あ、私はこういうのはダメだな
と、自分が避けるべき環境を知ることができます。
皆が一律の環境で、同じ教科を同じだけ教わる学校という場所は、自分の強みや得意なことを見つける場でもありますが、同時に「どうしても自分にはできないこと」を知る場でもあると思うのです。
現代みたいに「多様性の時代」は、来るべくして来たのだと思います。
みんな違って当たり前。