plumです。

 

51歳、主婦。

現在はフラワー商品の製作、販売をしています。

 

 

 

 

 

協調性の無さを遺憾なく発揮した幼稚園をなんとか卒業し、いよいよ小学生になる私。

 

 

その前に!

 

 

書かなきゃいけないことがあります。

 

私の子供時代のストレスを語る上で避けては通れない項目が、実は2歳のころから始まっていました。

ストレスは「学校での集団生活」だけではなかったのです。

 

 

 

私の母はピアノ教師で、音楽大学の専任教師でした。

大学の仕事以外にも、家には毎日のように音大受験志望の生徒さんが来ていて、日曜日などは朝から夕方までずーっとレッスンしている環境でした。レッスンをするために、我が家には母の仕事における必要性からグランドピアノが2台ありました。

 

父は会社員ですが、父の親や姉妹、親戚一同は音楽家がうじゃうじゃいました。

父は音楽の道へ行った身内を身近でたくさん見てきていたので、とても単純に

 

小さい頃から始めればプロになれるだろう♪

 

と考え、ちょうどピアノもあることだし、と、私にピアノをやらせるよう、プロである母に命じたようです。

 

 

あとで母に聞いたところによると

 

3歳になると色々わかるようになってゴネられると面倒だから、わけのわからないうちに始めさせよう♪

 

と思い、2歳でピアノの前に座らされました。

 

初めてピアノの前に座った日のことは、なぜかいまだに覚えています。2歳だったのに。

 

「これがド、次がレ。。」と、母に教わりながら、ある楽譜を出してきて「これから一日一曲ずつこれを練習するように」と言われました。

そう言われた時、率直に

 

ナンデ??

 

と思いました。

 

幼稚園の間もそれはずっと続き、年長くらいになってちょっとわかってくると

 

なぜ私はこんなことをしなきゃならないのか?

 

としょっちゅう疑問が沸きました。

 

それでも、その時はなぜか、「この楽譜一冊を全部終えたらピアノは終わる!」と信じていたのです。

とにかくこの一冊を終えるまでの我慢だ、全然やりたくないけど、一日も早く終わらせようと、幼稚園児なりに必死に練習しました。

 

そしてある日ついに最後の一曲を母に合格をもらい

 

やったー!これでピアノをやめられる!!

 

とバンザイした途端に、母が奥から同じ見た目の「下巻」と書かれた真新しい楽譜を出してきて、サラッと譜面台に置き

 

「じゃ、次はコレね」

 

事も無げに言いました。

この時の絶望感といったら。。

 

 

この「ピアノ練習しなさい」→「嫌だ、やめたい」の親子の攻防は、この後14歳まで続くこととなります。

 

小学校時代は学校の中でも嫌なことはたくさんありましたが、基本的に学校にいる間はずっと

 

今日こそは絶対にピアノを辞める!

どうやって両親を説得するか?

こう言ってみようか?いや、言っても無駄だからガンとして練習を拒んでストライキするか。。

 

こればかり考えていて、授業は上の空でした。

 

 

このピアノの話は今後定期的にでてきます。