Plumです。

 

51歳、主婦。フラワー商品の製作、販売をしています。

 

このブログは、幼少期から虚弱だったわたしが、現在に至るまで、どのようにこの虚弱な体と付き合いながら生きてきたかを振り返る、半世紀のようなものです。

 

 

 

 

 

幼少期の続き

 

幼稚園が大嫌いだった私。

 

その大きな理由が

 

「出される給食が食べきれない」

 

でした。

 

幼稚園ではお弁当みたいなものが配られるのですが、特段まずかったわけではないものの、家で大好きな納豆ごはんばっかり食べていた私は、初めて食べる「家以外のごはん」という状況がもうダメでした。

 

年中の時の担任の先生が鬼のように怖い女の先生で、ずっと怒鳴られっぱなし。そもそも毎朝のように遅刻して重役出勤ならぬ重役登校していた私は、教室に入った時点からまず怒鳴られる。萎縮した状態で楽しくご飯を食べられるはずもなく、どうしても残してしまう。

 

で、残すたびに

 

「残さず食べなさーい!!」

 

と、鬼担任にまた怒鳴られる。

 

「給食残すと怒られるから幼稚園に行きたくない」

 

と、何度も親に訴えましたが、親もどうすることもできず、一年間は我慢我慢でした。

 

ま、先生にしたらこんなのはただの「わがままな子」でしかなかったんでしょう。

 

年長に上がったら、ものすごく優しい担任に変わり、その先生は

 

「残してもいいのよ」

 

と優しくいってくれました。

 

そうやって優しく言ってもらえるだけで気が楽になり、できるだけ食べようという気になれたものです。

この優しい先生には本当に感謝していて、私は50歳近くなるまでこの先生に年賀状を送り続けていました。

 

怒鳴りつけてなにかを無理矢理成し遂げさせようなんて無理なのです。

 

優しい先生に出会えたお陰で、年長の一年はわりと楽しく過ごせましたが、それまではもう、幼稚園にいる間は本当につらかった。

 

一人っ子が急に同世代ばかりの中に放り出されて、もうどうしていいかわからないのです。

 

みんなが自由に遊んでいても「私も入れて」の一言が言えない。

言えたとしても、わがままだから「その遊びは好きじゃないからやりたくない」と言ってしまったりで、とにかく協調性のかけらもない。

しょっちゅう教室の前の大きな柱にしがみついて「早く帰りたい。。」と泣いていて、今思うと、本当に子どもらしくない、くらーい子供でした。

幼稚園にいる間は、ほとんど泣いていたような気がします。

 

親もさぞかし心配していたと思います。

 

この子は将来大丈夫だろうか。。。

 

結果的には「大丈夫じゃない」部分もあったのですが、自分の特性に合った環境に身を置くことさえできれば、そこそこ楽しく暮らせるもんです。

 

みんなと一緒

 

が、苦手なだけなのです。