今朝7時58分に発生した地震。

大阪人の我が家は無事です。

覚え書きしておこうと思います。


小1の息子とダンナは家を出て集団登校の集合場所へ向かう途中。

私と娘は朝の支度中。


急に何かドンッという振動?衝撃?のようなものが来て
一瞬何が起こったかわからない感じだった。

直後に揺れと、ケータイの緊急地震速報のサイレン。

娘もただならぬ事態に顔がこわばっていた。

駆け寄って揺れがおさまるまで抱きしめてあげていたけど、
怖かったようでしくしくと泣き出した。


揺れは最初だけが大きくグラリとしただけで、
あとはゆるーく揺れていた。

時間は数十秒?


揺れが止まってからダンナにメール。

何より息子が心配だったけど、
幸いにも揺れた時は子どもたちが揃うのを待っている時で、ダンナも一緒にいた。

後からダンナに様子を聞くと、
待ち合わせ場所には、いつもなら何人かの親御さんがいるのに今日は誰もおらず。

ダンナは子どもたちを一カ所に集め、
危険がないかなどキチンと子どもたちを守ってくれていたとのこと。


軽くパニックになり、
メールをしている間は手が震えていた私と違い
冷静だったダンナ。

頼もしいなと感じた。


揺れがおさまると、子どもたちの親御さんが家から出てきて、
みんなで相談した結果、
学校に向かう方が安全と判断して向かわせたそう。

途中まではダンナもみんなと一緒に学校に向かい、
途中からは見守り隊のおじいさんがいたので任せて別れ、
出勤のため駅に。


ところが駅では予想していたけど電車が止まっていて。


改札にも入れず、数分後には駅員さんから、
復旧の見込みがないため
駅から出るように案内があったとのこと。


私自身は、娘の気持ちが落ち着くまで待ってから
電車が動いていたら、娘は保育所に預けて出勤しようと考えていた。

とりあえず職場の連絡できる人たちに安否確認と遅刻の連絡。


実家も大阪だし、築50年を超える家だから心配だったけど、
無事だった。

この時固定電話は通じず、母にLINEで連絡。

改めてLINE様々。


そうこうしているうちにダンナから連絡があり、
上にあるように駅から出ることになったから一旦帰宅するとのこと。


ここまでで地震発生から40分。

まだなんとなくドキドキしていたけど
ようやく落ち着いてきてた。


娘ももう落ち着いて、保育所まだ行かないの?という感じ。
マイペースに遊び始めたし、一安心。


ダンナは帰ってきてから、
ずっと職場のメンバーや部下の安否確認、
これからの対応などで連絡続き。


みんなが同じように電車が動かないから出勤できないっていう状態だし、
とにかく落ち着いて安全を確保しながら、
状況見ながら、っていうのがほとんどだったみたい。


そうこうしていたら息子の通う小学校から
子どもたちの引き取りメール。

学校が授業ができる状態にないらしく、
帰宅可能なら、ということ。


息子も不安があるだろうし、
いろいろ考えてダンナに迎えに行ってもらい、家にいることにした。

こちらの心配をよそに、子どもたちというのはたくましく、
運動場で待機していたけど、最後には全身砂埃まみれになるほど
砂遊びをしていたそう。


これもまた一安心。

家族全員が顔を揃えられてよかった。



でも、被害のひどかったところでは、年の近い女の子が亡くなった。

親御さんのお気持ち考えると
いたたまれないというか、心苦しい。

ご冥福をお祈りします。



話は戻り。

保育所の電話は完全に不通でどうしようかと思っていたところ、
ママ友から、保育所も子どもの引き取り連絡があったとのことで
つまり保育所も休園…休所というのか?


これで私は子どもたちが預けられなくなったから
電車が復旧しても仕事にいけないことになり、
欠勤連絡。


ただ、10時半ごろに勤務先も休みとなったのでちょっと救われた。

ダンナもずっといろいろ連絡取り合っていたけど、お昼の時点で同じく休みとなった。


あとはもう土日と同じように
子どもたちは消費できなかった元気電池が満タンなので、
仲良く遊んだり兄妹ゲンカしたり。


同じ大阪でも場所によってはガスが止まったり
水道管破裂とかの被害もあるけど
自分が普通に生活できているせいか、
なんとなく遠い場所のできごとのようにも感じる。

余震もあまり感じないし。


電車はようやく14時ごろから場所によっては運転再開。


まだ今晩も明日以降も余震など気になるけど、
ひとまず。


なんか最後はちょっと文脈がぐちゃぐちゃやな。