映画『沈黙』を観たのは、少し前のこと。
観終えた直後は、ただただ身を切られるようにつらく、
気を取り直したくてすがるように入った喫茶店では
コーヒーの味もよく分からないくらいで。
それぐらい動揺していた。
何となく重く、下へ下へと下がろうとする心を何とか食い止めながら
時が流れるのに身を任せて茶を濁すように日々を過ごし、
「しんどい映画だった。でも、観に行ってよかった」と
ようやく口に出して言えたのは1週間以上経ってからだった。
それも、やはり本作を観て衝撃を受けたと言う友人が
相手だったからだと思う。
神を信じると言うことはどういうことなんだろう。
「クリスチャンだから」と「人間だから」の違いは何だろう?
「信じる」ことは何と難しく、もどかしく、また腹だたしいものなんだろう。
ポルトガル人の宣教師ロドリコの、頑な信仰心は
本当に大事なことなのか。
むしろキチジローの方が人として強く、たくましいのではないだろうか。
そして、キチジローこそ、生身の私たちでもあるというような
気がして、それが何だか嬉しかったりもする。
とにかくずっとあれやこれやと考えてしまうし、
それをやめてもいけないような。
私たちにいろんな問いかけを与えてくれる、示唆に満ちた秀作。
全編を通してとても静かな映画だ。
何だか黒澤映画みたいと思って
家に戻って調べたら
マーティン・スコセッシ監督は
黒澤映画をリスペクトしているそう。
なるほどと、深く納得。
映画「沈黙」