しんどくない生き方をするために学んでいる形而上学ですが、結局上下どっちにしろしんどいことはあります。
■ 成長するもとどまるもしんどいもの。
生きることは楽しい。それは前提として。
自ら動いて課題を乗り越え、進化成長する苦しみもしんどい。
誰かの価値観で評価されながら、型にはめられてほどほどに生きていかなきゃいけないのもしんどい。
どちらかというわけではなくどちらにしてもしんどいのです。
はてしのない長い道のり。
施術やイニシエーションを受ければ何もしなくてもいつでもキラキラとしていられる、すべてが楽になるわけでもありません。現象の成功とコミットのつながりが、結果への道がしっかりと見えてくるのよね。だから動けるようになる。
今輝いて見える人も自ら動いて課題を乗り越えて今そこにいる。
形而上学は次の課題が誰に言われるまでもなく明確になるのが私が気に入っているところでもあります。
■ 起こったことに意味なんかある?
起こる現象に無駄が何一つない。すべてのことは必然なのだなと感じる。
起こったことの意味がわからないとしたら、それは動かしていない現実のヒントなのかもしれない。
まだまだ未知の自分の選択がたくさんたくさんあるワクワクを感じますねー。
■ 逃げてもいいのだ。ただ…
どっちにしろしんどいこともやりたければやればいいし、逃げたければ逃げればいい。それも自分の人生なのだ。
人に話を聞いたり、占いを頼ってもいい。ジタバタみっともなく泣いたっていいのだ。最終的に自分の考えで選択することができれば。
そう。
自分を喜ばせることすら責任取りたくなくて、みんながそうしているから、誰かがそう言ったからという理由で選択するのもあなたの人生なのだ。
それを選んだ自分を
愛することができるのならね。
「愛しい自分が感じることを抱きしめて生きればいいさ」派のわたくしです。