私のひとりことさ。
しかし何だろうね…
この胸を撃つ苦しみは…
教育とは何か、疑うよ、学校の先生方。
幼心に感じた矛盾の答えをこんなところで見つけ出してしまった。
生徒の意見に耳を傾けず先生ご自身の考えを押し付けられて、
いったいどれだけの生徒が不良などレッテルを貼られたことでしょうか。
その中には、教師によって無実の罪を着せられた生徒も沢山居たはずです。
歴史の真実すら追究をせず、教科書どおりに教えてればよい的な、
安易な教育指導で何が解るのでしょう…
テレビや新聞が何を騒ごうとも、
祖国を命がけで戦って守って下さった方々のことを
誰が子供達に侵略者だと言ったのか?
先生達、それは貴方方ですよ。
政府も日教組もメディアもその次でしかない。
純粋な子供達に、教育者が毎日授業で言えば、
それは父母や祖父母が戦争が本当はどうだったのかと教えてくれていても、
途中で捻ってしまい誤ったことをそのまま覚えてしまう。
(無論、テストさへも捏造が元になった設問になるのだからね。)
そして、先人への尊敬の念や両親への感謝する気持ちも薄らいでしまった。
残念でしかない。
その影響を受けて育ってから直すのは本当に時間がかかる。
これは、自分自身で気づかなければならないことだから、
誰かに言われてすぐに納得できるような簡単なことでもない。
私は勤勉で厳格な祖父が大好きでした。
幼心に可愛がって貰ったのを覚えています。
そして堅気で頑固一徹なくせに時々笑わかす親父が怖かったけど大好きでした。
傍目からは自由奔放にしてた様に言われましたが私は本当に父が怖かった。
そして何よりも、その怖い父と遊んでもらいたかった。
当時は、高度経済成長時、出稼ぎも当たり前で父の長期留守も多かったのですから。
当時の小学校校長室に祖父や父の写真が飾ってあったことには驚きましたが、
公民館長やPTA連合会長や消防団長など歴任しているのですから、
それは田舎の小学校に写真が残ってても不思議では無いか。
廃校と同時に写真は返してもらいましたが、
祖父も父も若い頃の写真はマジで格好良かった。
少なくとも当時は、志を持った格好良い日本人が沢山居たのです。
それに比べて現在の私は、迷っていて自信が無い…
歩んできた道に後悔するつもりも無いが、
何かほかにもやるべきことは無かったのかと思う。
まだ、何か出来得ることは無いか、探そうと思う。
私は、
日米の兵士どちらも自国の命運を背負って戦ったのだから同じであろう。
白人主義で侵略と奴隷制度を繰り返していた国々に対しアジア最後の独立国として
植民地支配になることを拒み、日本は自衛の最終手段として戦うしか残されていなかった。
米国は、
それが米国側から仕組んだものであったことを真実を知ったマッカーサーによって証言された。
日本人として、これは日本が侵略したのではない。
そう思います。
マッカーサーさんのこの証言は、真実を知り自らを反省し、良くぞ証言したと思います。
なかなか出来ることではない、これには尊敬の念を抱きます。
それでもこの戦争で亡くなった方々全てが生き返るわけではない。
すべての風評被害が、なくなるわけではない。
米国がばら撒いた捏造史実が消えるわけではない。
特亜の反日政策が消えるわけではない。
社会主義国の脅威が消えるわけではない。
ここから、また次のステップが始まったのだろうと思う。
私たちは、これからやっと次のステップに進むのだから。
先人の方々に恥じないように自分自身を精一杯努力して、
私たちは日本人として正々堂々とチャレンジしていきましょう。
ちなみにもうひとつ、
緊急事態で、
今現在で同盟軍のアメリカ軍を守れないようなら、
アメリカ軍も自衛隊を守れないよ。
と言うことはだ、この日本を守りきれないかも知れないと言うこと。
5年後10年後東西の均衡を保ちこの日本を守るには何が必要なのか、
この日本のことは純粋に日本人が考えなくてはならない。
帰化人も元々は外人。外人はあくまでも外人で母国の指令に従う者也。
先人のご苦労に敬服いたします。
この日本に生まれたことを誇りに思います。
ご先祖様、有難う御座います。
そしてこんな記事を読んで下さってる皆さんにも感謝します。
いつも他愛の無いことばかり書いてるけど、本当にありがとう。