続きの話です。

 

再就職のために毎日のようにハローワークに通っていたが、当時は新卒でも就職氷河期で、募集に関しては年齢制限が当たり前だった。求人がある会社で年齢制限がない会社でも実際は管理職が私より若いという理由で応募できない会社や、私が今住んでいる所に関わりが無いという事で書類選考や面接の段階で落とされる事が当たり前だった(今思えば自分が悪いところが沢山あると思う)。

今住んでいる所はとにかく大学等を除き社会人は別扱いで、その土地にゆかりにある人ならOKという風潮が今でも思います。それはある競技団体でも経験しました。

それはさておきなかなか再就職が出来ない中、アルバイトで何とか生活を続けていた12年前の大晦日に今でもトラウマになっている事が置きました。

普段両親から色々規制を受けていたのでせめてこの日は年末の雰囲気を味わいたいと思いお昼に繫華街に行き、その後帰宅して夕方自分の居住区域を掃除をして新しい年を迎えようかと思ったが、時間的に言うと午後4時頃私の携帯電話に親から電話がかかってきて「今すぐ戻ってこい!」と言われ急いで帰ったら、以前私が所有していた洋服や靴、通帳、キャッシュカード等などを部屋に並べ「お前が正社員として再就職できないのは選り好みをしているからだ」という言葉を皮切りに延々6時間以上両親から言葉による虐待を受け精神的にまいってしまい、その時私は通院している睡眠薬や頓服薬をたくさん飲み死のうと思いました。その時両親は「派出所に行けば、病院に行けば」と言われました。

私は本当に死のうと思いました。結果的には2日間寝ていました。しかしその直前あるところでアルバイトをし、とにかく年が明けたら再就職を出来たらと思いハローワークや再就職サイトで求人を探していましたが駄目でした。その結果が両親のストレスを生み出し、大学を卒業しても再就職できないことに苛立ちを感じたことが積もり積もった結果だと思います。

このことがトラウマになり、今でも毎年クリスマスから大晦日にかけての数日前から精神的に参っています。

両親や叔父や叔母は今住んでいる所の私立中学・高等学校から大学に進学し、エリートコースを進み優良企業に就職、従兄妹は有名企業に就職して定年退職という昔の「当たり前」の道を進んでいたのに対して、バブル時期に入社した私は「追出し部屋」を経験してうつ病になり、それを今でも認めない両親に憎しみを感じます。

今でも夕食になると毎日喧嘩することが日課になっております。

これは今でいうと虐待にあたる事項かもしれませんが、年齢が中年なのでそのようなことに抵触されないかもしれませんが、過去のつらい出来事をありのままに記させていただきます。
 

つい最近甥っ子から電話があった。しかし、両親は電話を私に取り次いでくれなかった。私は怒りを覚え両親に「なめとんか!!」と言った。

それ以降甥っ子からの電話からは両親は変わるようになった。甥っ子からの電話がかかってきた時は横で私に向かって「なめとんか!!」といつも言っている。
 

その理由の発端は今から12年前4月にあることをきっかけにして関東地区から両親が今住んでいる所に強制的に戻され、戻ったその晩に財布やカバンの中身を見られ、銀行の通帳とキャッシュカード等を強制的に取られ、警察や検察の事情聴取宜しく、通帳の記載内容を1件、1件深夜遅くまで問い詰められた。その時両親から言葉による暴力長時間があった(虐待に近い状況であった)。それと恥ずかしながら、「特別な事が無い限り外出は午後6時まで」という門限と帰るときは自宅に帰るコールをするよういわれた。

その後父親は没収された私のキャッシュカードの残高照会を見ることが日課になり、残高に変化があると私にその理由を聞き、払戻以外であれば昼夜を問わず理由を聞いた後に殴られる事があった。それ以外にも私宛の郵便物は親展でも開封されていた。

その年のお盆前、両親が普段私の使っているカバンの中身を見た。その中身は財布(住んでいる所にある銀行のキャッシュカードとコンビニエンスストアやスーパーのレシート)を見ていた。当時再就職活動をしていたが、不景気でなかなか再就職できず、普段ダラダラ生活しているから不採用になるのだと感じ、その苛立ちが頂点に達していたと思う。

その結果両親からボコボコにされ、携帯電話も半分壊されてしまい、私は恐怖心のあまり家から近い派出所に逃げ込んだ。その時対応したベテラン警官はびっくりした表情だった。

その壊れかけた携帯に父親から電話があり派出所にいることを告げた。その時対応してくれた警察が即座にかわり、色々とはなしていた。その後車で両親が派出所に来て、お互いの言い分を聞いていた。もちろんその時はお互い別室で事情を聞いていた。

派出所を出るときベテラン警察官は両親に何か言って家に戻ったが、その後も両親から言葉及び物理的暴力を受けた。その時本当に死にたいとおもった。

その後定期的に他の警官が家に訪問し状況を聞いていたのと、私が近くのスーパーやコンビニエンスストアに外出中の際、前述のベテラン警官が私を見たときに声をかけてくれて状況を聞いてくれた。その時「今どうしてる、再就職はできたか?」と聞かれたのでありのままを話すと、「焦らずに行けよ」と言ってくれた。本当にうれしかった。両親はその警官に対しては今でも良いイメージを持っていない。

そんな時、ある人から心療内科に行くように言われ診断を受けたら“うつ病”と診断された。そのことを両親に言うと「あんたがうつ病なら俺達はとっくの前にうつ病だ。その医者はやぶ医者だ」といわれた。

その時正直がっかりした。本来親は年齢関係なく子供を見守る事が当たり前と思っていたが、エリート街道を歩んできた両親にとってはアウトロー的な生活(人生)を送った私は腹立たしい存在だと今でも感じている。

この続きはまた。


 週に数回父親が私の部屋を詮索します。
 これは一緒に過ごしてからのことです。
 この連休私自身不要な物を全て廃棄処分として、粗大ゴミや通常ゴミに出しました。そして自分自身なりにわかるように“何処に何があるか整理”しました。
 それでもまた父親は私の部屋を詮索しめちゃくちゃにしました。
 写真ではきれいになっていると感じると思いますが、私自身にとってはまたやり直しです。
 もうお互い歳だからやめてくれと言いたいくらいです。それがエスカレートしたら最悪状態をまねかれざれをえません。