米国企業を語るとき、その多くが「デラウェア州に本社登記されている」という事実に触れるだろう。この小さな州が世界中の投資家から注目される理由は、単なる法人税の優遇措置だけではない。もっと奥深く、法制度そのものに由来する。
特に注目すべきは、「衡平法裁判所(Court of Chancery)」の存在である。これは米国における株主権利保護やM&A審査、取締役責任の追及において極めて重要な役割を果たす特殊な司法制度であり、グロース株を含む上場企業の経営判断の背景にしばしば登場する。
衡平法裁判所とは何か
衡平法裁判所(Court of Chancery)は、通常の法律(common law)では救済できない事案に対して、「良心」や「公平さ(equity)」に基づいて判断を下す裁判所である。アメリカではごく少数の州でこの制度が残っており、最も有名なのがデラウェア州のCourt of Chanceryだ。
この裁判所では、株主の権利侵害や取締役会の不正、M&Aにおける情報開示義務違反など、企業統治に関連する高度な民事訴訟が扱われる。特徴的なのは、陪審員を用いず、法律の専門家である裁判官(ChancellorやVice Chancellor)が単独で判断を下す点にある。これにより、迅速で一貫性のある判断が下されやすく、企業法務に精通した判断基準が蓄積されてきた。
デラウェアに集まる米国企業──信頼の裁判制度
Apple、Meta Platforms、Alphabet、Tesla、Amazonといった米国を代表する大企業の多くがデラウェア州に法人登記している理由の一つは、このCourt of Chanceryにある。企業が株主訴訟などに巻き込まれた際、迅速かつ信頼性の高い法的判断を受けられる環境が整っているためだ。
この裁判所の判例は、米国全土で参照される企業法の「事実上の標準」として機能している。たとえば、買収防衛策(poison pill)や取締役の忠実義務(duty of loyalty)・善管注意義務(duty of care)などの解釈は、デラウェアのChancery Court判決を基礎に全米に影響を与えている。
企業買収と衡平法裁判所
近年、企業買収や合併(M&A)の現場では、この衡平法裁判所が極めて重要な審査の場となっている。特に注目された事例のひとつが、2022年のElon MuskによるTwitter買収交渉である。契約の履行を巡り、当時TwitterがMuskを提訴したのがこのCourt of Chanceryであった。
この裁判所では、契約義務の実効性(specific performance)という衡平法的救済を認める可能性があるため、契約破棄や条件変更が難しくなるという特徴がある。このように、M&A交渉における当事者の行動や文言が、法的拘束力を超えた“衡平性”という観点で判断される点が、企業戦略に大きな影響を与えている。
株主代表訴訟と役員の責任追及──“Duty”の重み
米国では株主が取締役に対して直接訴訟(derivative lawsuit)を起こすことが可能であり、その審理の中心にあるのもまたCourt of Chanceryである。これは企業の経営陣に対する牽制装置として機能し、特にグロース企業における大胆な投資判断や株式報酬制度、ガバナンス構造に対して司法的監視が及ぶことになる。
たとえば、取締役が自己利益を優先して企業に損害を与えた場合、それが「忠実義務違反」に該当すると判断されれば、賠償責任が生じる。さらに、経営判断原則(Business Judgment Rule)の適用外とされた場合、裁判所はより厳格な基準で取締役の行動を検証することになる。
透明なルールの存在が市場に信頼を与える
このような法制度の存在は、投資家にとって「企業が何をしても安心」という保証ではなく、「不正や不当な行為には法の監視がある」という抑止力として作用している。とくに米国株式市場における法的透明性と予測可能性は、リスクを前提としたグロース投資にとって大きな意味を持つ。
例えば、米国で上場企業が不祥事や買収劇に巻き込まれても、即座に訴訟・審査・合意といった一連の法的プロセスが見える化され、しかも多くが公開情報として記録される。この点で米国の株式市場は、他国と比較しても「透明な市場」として高く評価されている。
衡平法裁判所が支える米国株の信用構造
衡平法裁判所は、単なる司法制度ではない。それは米国企業のコーポレート・ガバナンスを形作る「見えない支柱」であり、投資家が安心して株式を保有し続けられる市場基盤の一部である。デラウェア州が米国上場企業の登記地として選ばれる理由もまた、この「衡平」と「迅速性」に裏打ちされた制度にある。
そしてこの制度の存在は、米国株の市場全体が持つ法的信頼性を強固に支え、結果としてグロース企業の成長と、投資家の選択肢の広がりを生み出している。衡平法裁判所は、まさに“株主の最終防衛線”として、今日も米国経済の根幹で静かに機能し続けている。




