日本で感じた違和感。
「システム化されたラーメン屋」

人は楽になるために、様々な効率化を目指し、システム化しているはずなのに、そのあまりに洗練された美しすぎるシステムを目の当たりにした時、私は、圧巻の驚きと、凄さ、そして窮屈さを感じた。

なぜなら余白がないと感じたから。

まるで、私までベルトコンベアーに乗せられて、私の自由な動きなど一切関係なく、そのシステム上の流れのままに券を買い、ラーメンを食べ、出て行く羽目になったから。

ありとあらゆる人間が来ても、何の不具合もなく、全員が全く同じ動きをして入店し、出ていくその様は、理路整然としていて、あまりに美しく、あまりに虚しい。

けれど、そこまで無駄な動きが一切なく、システム化された流れ、そのシステム自体を作り出した人間の頭脳の素晴らしさを感じると、感嘆せざるを得ない。

素晴らしいと尊敬の念を抱くと同時に、虚しいなと虚無感を抱えさせられた出来事は初めてで、何とも言えない気持ちになる。

きっと店の人だって、システム化することによって、より人間が楽をするために。

人間の自由や幸福さを増やすために、そのシステムを作り上げたのだと思うのだけれど…


機械がやってくれることが増える分、人間は楽ができると思ったはずなのに、なぜかその機械のスピードに合わせて、人間が動かざるを得なくなり、より忙しくなってしまう…という矛盾。

人間が人間でいるためには、ある種の怠けだとか、だらしなさというものが、切っても切れないのかもしれない。

私は余白のある日常が好き。

手帳が真っ黒になっていると、パニックになりそう。笑

真っ白だからこそ、その日、その瞬間の、自分の気持ちを大切にできる気がする。

無駄な時間、無駄な動きこそが、心の余白を作ってくれるのだと感じた出来事でした。



P.S.
『忙しい』は、『心』を『亡くす』って書くしね。
 



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