愛があるということを、言葉にして伝えられないと、以前は不安を覚えました。

目には見えなくても、確実にそこに存在しているはずの愛情を、私が五感で感じようとしていなかったからなのかもしれません。
いや、それを感じても、確信を持って、信じきることができなかった。

目に見えるカタチ、もの、言葉。
それらはとても重要なことだと思っていました。
でも、表面的なものは、文化をまたいでしまえば、簡単に別のものに変わってしまう。

愛するという単語は大切なものだから、普段からは口にしない日本人。

イタリアに来て、毎日のように愛を伝え合うイタリア人。

今日、甘えてくる猫を見て、愛おしいなぁと思ったし、この小さな存在からとても愛されていて、必要とされているなぁと感じました。

猫は人間の言葉を喋らないけれど、それでも、強く愛情を感じました。

伝え方には文化や固有のものがあるから。
日本人の伝え方、イタリア人の伝え方、猫の伝え方。
それぞれに違う伝え方。

でもみんな、愛がある。

何が良いとか悪いとかではなく、今なら私があの時感じてしまった不安を感じることなく、あの人が表現してくれる愛情をいっぱいに感じながら、過ごしていけるのになぁ。

それも運命、タイミング。

私に気づきを与えるために、現れてくれた人。大切な人。
感謝をして、前に進もう。

これからは目に見えるものだけじゃなく、目に見えないものこそを、大切にする時代がやってくると言われています。

みんながみんな、目に見えないものを大切にする時代って、何だかとってもワクワクします♡

心を豊かにする芸術は、これからもっともっと重要視されていくんではないでしょうか?

楽しみだなぁ♡

P.S.
私を愛しい猫。私も愛しい猫♡
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