ソプラノとしての私をつくってくれた人達について、想いを馳せてみたいと思いますキラキラ

まず、合唱を通じて、音楽が好きだという気持ちを育ててくれた、大好きな先生。

次に、何もない所から、音楽とはこういうモノなんだという基礎、卵というベースを作ってくれたドイツ人の恩師。

そして、その殻を木っ端微塵に、粉々に打ち崩してくれて、生まれ変わりのチャンスをくれた愛しい先輩。

打ち砕かれた後、液体として流れ出て、一体何をどうすれば良いのかわからなかった私に、「あなたは卵じゃなくて、人間になるべきなのよ」と私をもう一度人の形に組み立てなおしてくれたイタリアの師匠。

人の形だけれど、マリオネットのようになっていた(しかもむやみやたらと自分で動いて、糸がこんがらがってしまっていた)人形としての私に、魂を吹き込んで、糸を一本一本丁寧にほどき、「自分で歩いて良いんだよ」と優しく悟してくれた、敬慕する音楽家。


こうやって書いていくと、他にも沢山の人の顔が思い浮かびます。

幼少期から10年お世話になったピアノの先生や、沢山の愛情を注いでくれた心豊かな先生、背中で生き方を語って下さった、第一線で活躍するスター歌手の人、一回の本番は練習100回分以上の価値があると感じさせてくれた、成長する機会を与えてくれた人、いつもあたたかく応援してくれる人、音楽と生きていく事の喜びをあらためて感じさせてくれた生徒さん、挫けそうな私の心を、溢れる情熱でいつも燃やしなおしてくれる音楽仲間、何がおきてもどんな時でも優しく見守ってくれる親友。
たとえ何も出来なくても、生きて存在しているだけで価値があるんだと、身をもって教えてくれて、今は心で呼びかければ、すぐに側に来てくれるお父さん。愛おしい、家族。


人だけじゃなくて、自然からも影響を受けているなぁって思います。
思い出すだけで胸があつくなる風景が沢山あります。

初めてのホームシックで泣きながら眺めた、唯一繋がっていると確信させてくれた、タイの空、
時には癒やし、時には痛ましい現実をつきつけてくれた沖縄の海、
魂を開放してくれたインドの川、
いつだって人々のすぐ側にある、文化と渾然となった、イタリアの大自然。

ありふれた日常にある、ユキと散歩する野原や、母と歩く山にも、愛しい気持ちと感謝がこみ上げてきます。

人も動物も自然も。
全てとの繋がりを感じます。

私と世界は繋がっていて、私が幸せになると、世界も幸せになる。(なぜなら、私は世界の一部でもあるから。)

世界から影響を受けて、世界へ影響を与えている。

川の一滴のように、生まれて消える。



なんだかアドリアーナ・ルクヴルールのIo son l'umile ancellaを思い出しちゃうなぁキラキラ

書き出したテーマから全然違う内容になってしまう、相変わらずの私の頭の中でした音符