子供を引きこもらせる親の心中はこう↑である。


これは幼稚?/傲慢?/上から目線?いや、何があろうとも、この


『私が出来るのになんでこの子は出来ないのっ!』

とカナキリ声をあげている親の心の中には、(歪んでいようが)愛情はたくさんある。
愛情がたくさんあるから(盲愛_“もうあい”というやつである)

『私が出来るのになんでこの子は出来ないのっ!』


という台詞にはおそるべきパワーが溢れている。
それはまさに子供の心身にとって、うざいっ!の一言に尽きるパワーだ。
こんな台詞を1年365日聞かされているのが、哀れな引きこもり少年少女の生態である。
今や引きこもりは30代40代と徐々にそのステージを上昇させ、着々と社会の生産力を奪っている。
社会・政府の対策も、気付いて効果的な動きを具体化させている所もあるが、
所詮、『畑に種をまいて芽をだした作物が実る』まで、と時間を根気よく待たねばならない物である事は共通する。

『親子』という単位として人間を社会的生物としてそのあり方を考えると、こには、まさに劣化した社会的生物としての生き様を、ありありと見いだす事が可能ではないかと考えられる。

『私が出来るのになんでこの子は出来ないのっ!』

子供の可能性を100%、シンプルに否定するこの言葉を『発する親』という立場の人間は、
この言葉が『子供の心に届いた時の有効性』をほとんど検証する力を失っている。
その検証する力の損失をきたす理由の一つは貧困だ。
これは厳粛で目を背けることの出来ない課題である。
貧困は、専門家へのアクセスを拒み、
治療回復への効果的な手段の実践を拒む。
お金が無い、という事は人類共通の悩み、でもある。

が、しばし待て…

貧困を『超える事が出来ない最後の障害』とするもしないも、人の気持ちの持ち方次第である。

確かに貧困は、最も高くそびえた障害である事は明白だ。
生活保護を必要とする家庭の増大は、『不正受給という問題』と同時に『生活が成り立たない!』という問題も、同時代的視点で熱く見てゆく必要性がある。
そして、ここで、最後の一歩で『希望』という言葉を捕まえて、その言葉を人生の灯台とするか、それとも諦めるかは、貧困の脱却、というステージでしか得られない判断の場である。


『希望』という言葉には、極めてシンプルに圧縮された滋養が含まれているが、

『私が出来るのになんでこの子は出来ないのっ!』

この毒々しい台詞に頭が麻痺した人間には、なかなかこの言葉に含まれた滋養を身体に吸収出来ない。
だから、『私が出来るのになんでこの子は出来ないのっ!』という嘆きを、自己弁護の方便としか扱えずに、時がたてばたつほど、言葉はすり切れ感性は砂漠化してゆく。

『劣化した家庭』

家庭には、社会的生物としての人間の営みに必要な機能が存在するが、それが軒並み劣化してゆく家庭が増大している。
ただ単に、家の中に人がいるだけ、という家庭である。
劣化した家庭は、引きこもりや虐待の病理を容易く温存する。
そして、『劣化した家庭』という視点で見る事が、時代の気分に適(かな)う。

子供の引きこもりを慢性化させる原因は貧困である。
そして、貧困という軍団を撃退するキーワードは、まさに『希望』という言葉にリンク出来る生命のエネルギーであり、そこから展開しうる生きる智慧を実践する事である。

子供を引きこもらせる親の心中にどう光をあてていくかは、今後の大きな課題である。
是非ご期待いただきたい。

2013.02/18




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