親や親近者による暴力や暴言、その他いろんな虐待的な事は、その元となっているのが

"戦争によるトラウマ"

である事も多く、



世代で言うと、例えば


戦地を体験したおじいちゃんがトラウマを抱え→


子どもだったお父さんor お母さんに影響を及ぼし→


自分にも…



みたいに繋がっています。




戦争によるトラウマは
戦地を体験した事によるもの以外にも、

戦後日本人の誇りを奪い、
自己肯定感を持てなくするよう仕込まれた、
GHQによるプログラム

"ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム"



直訳すると、
「戦争罪悪感情報プログラム」

というものを刷り込まれて、

これはGHQが日本人の強靭かつ高い精神性を怖れ、

日本人が二度と自分たちに歯迎わないよう、戦後の日本人に仕込んだプログラムで、

私たちのほとんどの親は、(そして私たちも)
戦後の教育によりこれを刷り込まれて来ました。


そしてこのプログラムの刷り込みによる

罪悪感や自己否定感から、


自分をありのままに受け入れられない →

自分の子どものことも、全肯定でありのままで愛せない

などなど…

いろいろと影響があったかもしれません。


なぜなら

罪悪感や自己卑下と言うのは、

最も自己肯定感を下げてしまう感情だからです。






過酷な戦場の現実や加害行為のため、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などに苦しんだ旧日本軍兵士や家族の実態について、厚生労働省は近く、初めての調査を本格化させる。

戦争トラウマは、PTSDのほか、アルコール依存や家族への暴力などの形で表れ、復員兵の家族グループが2018年ごろから活動してきた。グループは家庭内暴力を受け、親子関係をうまく築けなかった体験を語り合い、国に対して実態調査を求めてきた。

毎日新聞の記事より


『戦争トラウマ、初の実態調査 国が旧陸海軍病院の資料など照会へ』 




調査を始めるのが遅い!なんで今頃やっと……と思うけど、


戦争は終結して80年近く経っても、こんな形で、後の世代の家族生活にも影響を及ぼすと言う意味では、

何代にも渡って負の連鎖が続き…


戦いはまだ終わっていなかったのです。



そして、戦争によるトラウマは決して敗戦した日本だけの事ではありません。


私の オランダ人の友人だったピーターは(この3月に逝去)、第二次世界大戦中11歳の頃、インドネシア ジャワ島の日本軍によるオランダ人強制捕虜収容所で過ごし、戦争が終結してオランダに引き揚げてやっと普通の生活を送れるようになって何年も経った、終戦から40年経った頃から突然、訳のわからない怒りが湧いてきたり…

以下、当時オランダの大学で自動車工学を教えていた頃に自分に起こった事を書かれたピーターの自叙伝の一部から抜粋します。
(因みにこの部分はまだ公開されていません。)


1985年頃から、私には奇妙な現象が現れ始めました。不思議なタイミングで失神したり、学生たちとの会話で急に声が出なくなったり、新しい研究プロジェクトの立ち上げなど、それまでは遊び感覚でやっていたことができなくなったのです。
当初は、心臓や血管の病気ではないかと疑われましたが、循環器系の検査をしても確定しませんでした。最終的には、典型的な強制捕虜収容所症候群の症状であることが判明しました。このため、私はしばらくの間、OegstgeestのCentrum '45で治療を受けました。この治療は非常にうまくいったので、自信を持って言うことができます。

『Dari Mana ダリマナ』ピーターの自叙伝)


以下はトラウマ、医療・社会の歴史の研究をされている、中村江里先生の文章から抜粋します。
前出のピーターも治療を受けてうまくいったと言う、
オランダの"Centrum '45"も出て来ます。


暴力・トラウマの世代連鎖

また、復員兵の子ども世代の経験は、暴力の連鎖や、トラウマの世代間伝達を考察する上でも重要である。トラウマの世代間伝達は、第二次世界大戦後のホロコースト・サバイバーの研究の中で注目されるようになった。


昨年、筆者がオランダのCentrum'45財団を訪問した際に、戦争トラウマのケアについていろいろとお話をうかがう機会があったが、同財団も、1971年設立当初はホロコーストを生き延びた人々の「強制収容所症候群」や、ドイツ占領下でレジスタンス活動を行っていた人々のトラウマケアから出発した。その後、日本軍に抑留された人々を含む第二次世界大戦の犠牲者全般も対象となり、現在は第一世代の戦争体験者から第二世代・第三世代のケアへとシフトし、難民や児童虐待の被害者などの精神的ケアも行っているとのことであった。


このように国立のセンターが、軍人も民間人も含め、何世代にもわたるトラウマのケアを行っているオランダの事例は、日本の状況とは大きく異なると感じられるが、日本でこの問題を考える際には、戦争という国家間の公的な場での暴力と、虐待という私的な場で起きる暴力とのつながり(この2つは、ハーマン〔1999〕が整理したように、トラウマ研究の2つの大きな潮流でもある)に注目することが重要であると考える。


これは、DV(ドメスティック・バイオレンス)や性暴力のサバイバーのケアを行ってきた信田さよ子氏に教えていただいたことだが、信田氏が原宿にカウンセリングセンターを設立した1995~2000年の初期の頃に話を聞いた女性たちは、ちょうど復員兵の子ども世代であり、彼女たちが父から受けた虐待や母へのDVは、2000年代以降のカウンセリングで語られた暴力とは質が異なる壮絶なものであったという。

『不可視化されたトラウマ
ー診療記録から浮かび上がる事実ー
text by 中村江里』より抜粋


戦後何十年経っても終わっていなかった戦い。

当てはまる人はこれに氣付いた時から、自分のトラウマも昇華できるといいなと思います。


そして連綿と何代にもわたって続いて来たこのネガティブなエネルギーが、自分のこの代で断ち切られることを祈ります。







もし少しでも思い当たる方がいたら、

「ひょっとしたらそれはご先祖様の戦争体験が元で……」

と言う可能性を慮ってあげるのもお供養になるかと思います🙏








戦争や軍隊は、古参兵から初年兵へ、日本軍将兵から侵略・占領されたアジアの民衆へ、復員兵から家族へと暴力の連鎖を引き起こす可能性がある。新たな戦争への支持を表明する前に、国境や世代を超えて生じるトラウマの破壊的な影響について、私たちはまだまだ多くのことを知る必要があるのかもしれない。

『不可視化されたトラウマ
ー診療記録から浮かび上がる事実ー
text by 中村江里』より抜粋
https://jnapcdc.com/LA/nakamura/phone/index.html




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『戦後独立した国と今も見えない支配を受ける国の間に…』