若い頃から、「世界の終末を見てみたい」という願望があった。
現在50代の私にとって、「1999年に人類が滅亡する」というノストラダムスの大予言は、リアルタイムで体感する「未来への恐怖」だった。それに加えて、私自身、バブルで浮かれている周囲に馴染めなかったこともあって、「別に終わるんなら終わってもいい」ぐらいに思っていたことも大きいだろう。
しかしそんな期待とは裏腹に、世界は終わることなく21世紀を迎え、私はその後もどうということはない人生を送り続けて、今に至っている。
NHKのドラマ『VRおじさんの初恋』が終わった。
VRの世界で出会ったナオキとホナミ。その2人がリアルの世界でも対面し、お互いの人生に関わっていくという物語だ。
ちなみに、VRの世界での二人は、若い女の子同士だが、現実では、ふたりともタイトル通り「おじさん」である。
このドラマを見て、最初に惹かれたのは、VRの世界の美しさだった。
昔イメージしていたバーチャルな世界、いわゆる「電脳空間」は、もっと無機質なものだった。
近未来を感じるような街と、感情の無いアバター。それが「クール」ともてはやされるように思っていたのだ。
しかし、このドラマに出てきた世界は違った。
様々な仕掛けが施されているものの、私達が今住んでいる風景とあまり差はない。
そこには、海があって、それを見下ろす高台がある。
お祭りがあって花火が上がる。
食べ物には味があって、匂いがあって、風が吹いている。
どこか郷愁を誘うような、懐かしささえ感じる情景だった。
作られたアバターも、また魅力的だった。中身はおじさんのナオキとホナミも、女の子の姿になりきっている。
妙に人間くさくて、バーチャルの世界なのに人と関わり合うことを嫌ったり、逆にグイグイと近づいてくる人がいたりする。
女の子同士で仲良くなって、恋をしてキスをする。
そんな世界を画面越しに眺めながら、私もすっかり彼女たちに恋をしてしまった。
もう一つ、大きなポイントは、「トワイライト」と名付けられたその世界が、もう少しで終末を迎えるということだった。
技術の進歩は、すべからく“永遠”を実現するためのものだと思っていた。
死なない体、消えない記憶、終わらない世界。
しかし、「トワイライト」は、参加者の減少により、サービスが終了されることとなっていたのだ。
そこには、古いものが無くなっていく以上の儚さを感じてしまう。
長くこの世界を楽しんでいたナオキは、寂しさを隠せない。しかし、一方で、その最後をしっかりと見届けたいという気持ちも抱いているようだった。
それは、私が昔、世界の終末を見たいと願っていたように。
やはり私はナオキに似ていると思う。
そもそも年代も近いし、現実の世界や人間関係に居心地の悪さを感じて、淡々と毎日をやり過ごしているところも似ている。
ナオキにとって、VRの世界だけが安らぎを与えてくれてくれる居場所だったであろうことも容易に想像できる。
そして私にも、「女の子になってみたい」という気持ちがある。
おそらく、私が「トワイライト」の世界に入り込むなら、ナオキと同じように、女子高生のアバターを使ったことだろう。
毎日、ドラマを見ながら、不思議な親近感を感じていたのも事実だ。
仲良くなったナオキとホナミは、現実の世界で対面した後も、個別に会う会う約束をして、同じ時間にトワイライトにログインするようになる。
そこで、様々な体験をするのだ。
もちろん、二人の距離は近づいていく。
でも、二人の関係は一体何なのだろう?
それには、ドラマ内で一つの答えが出される。
VRの世界で、ホナミとの関係を問われたナオキは答える。
「この関係に名前なんてなくたってい。『初恋』ってだけでいいんだ」
人と人との関係に、名前を当てはめようとするのは、あまり意味のあることではないのかもしれない。
それは、VRの世界であっても、現実の世界であっても。
むしろ、名前がないからこそ、純粋で強い結びつきになるような気もする。
昔誰かが作った秩序ある世界、「トワイライト」。物語は進み、最終話、その世界は一瞬で、消えていった。
そして、その少し前、現実のホナミもまた、命を失っていく。
余命を知ってから、トワイライトに来るようになったホナミ。そので彼は、新たな宝物を手にしたのだ。
VRの世界も、人の命も、限りがあるものだからこその尊く美しい。
このドラマを見ていると、そんなことを思わされる。
多分、私が見たいという世界の終末も、悲しさや残酷さはあるものの、どこかに美しさを感じさせるものではないかと思っている。
物語の後半、現実の世界のナオキは、実在のホナミやその家族と出会い、その交流を通して、「人間らしさ」を手にしていく。
ただただ退屈だった職場も、少しずつ変わって見えてきたに違いない。
このドラマは教えてくれた。
ほんの少しのきっかけで、人との関わりや、置かれている環境は、変えることができる。
そうすると見えてくるのだ。悲しいことや辛いことは多いけど、今生きているこの世界だって、そんなに悪くはないと。
誰かとの関係も、自分自身の命も、いつかは終わってしまうものだ。
でも、強くて儚くて、もちろん名前なんかない関係を結ぶことができるこの世界は、とても暖かで美しいものだと、改めて私は思うのだ。