私は人が怖い。
いい人が怖い。
今まで生きてきた中での経験則のようなものではあるけれど、人間のいい面と悪い面は、どんな人でもほぼ同じ分量だけあると思っている。ただそれが、「見えている」か「見えていない」かの違いで。
私のまわりには、欠点の目立つ人が多くいる。
アイドルにガチ恋してしまう人、ムダ金ばかり使っている人、酒クズetc..
私も人のことは言えないが、そんな人を見ていると、なぜか安心して付き合える。彼らの見えていないところには、いい部分、キレイな部分が隠れてような気がするから。
そういう心持ちで接していると、不思議とその人の魅力的な部分が見えたりするものだ。
姫乃たまが本書の中で述べている、「そこには無いものたち」。
「目に見えないものに思いを馳せる」という点では、少し似ているかもしれない。
姫乃たまを初めて知ったのは、古くからのヲタ友が書いていた、mixiの日記だった。
いつの頃からか地下アイドルにハマった彼は、特典会での相手との会話まで細かく記録していた。それを読む中で出会ったのが、「゚*☆姫乃☆*゚」という名で活動していた姫乃たまだった。
彼らの会話は、いわゆる「アイドルとファン」のものとしてはちょっと変わっていて、キツめのジョークであったり、少し下品なネタであったりが、そこここに出てきた。その頃、まだあまり地下アイドルの現場に行ったことがなかった私は、「地下とはこういうものなのか」と、少し怖さを覚えたものだ。
そうして、存在を知った彼女は、やがて文章を書くようになった。
元々興味を覚えていた相手だったので、twitterをフォローし、Webに連載されていた文章を読んだ。
経験に基づいた地下アイドルの実態や、独自の視点で感じた日常、どこか自虐的に思いを吐露するようなツイート、それらの言葉に強く惹かれた。
それから、彼女の出演するライブやイベントに足を運ぶようになる。
実際に会って話した彼女は、驚くほどにナチュラルで、私も気負いなく話をすることができた。少しも怖くなかった。
文章で弱い部分をさらけ出していた分、これから知るところは、彼女の美しい部分なのだろうなと思った。
見えない部分が、少しずつ見え始めたのだ。
この『永遠なるものたち』も、2017年からWebメディアで発表されたエッセイが元となっており、もちろん私もその連載を読んでいた。
時折流れてくる彼女の告知ツイートからリンクをたどり、本文を読む。そこに描かれた、彼女の心象風景とも言える世界に触れる感覚。それは私に、不思議な安堵感と、心地よいざわつきを与えた。
今回、一冊にまとめられたものを通して読んでみると、その安堵感の正体が少しわかった気がした。
冒頭の文章で彼女は、「自分自身が欠けている」と書いている。それは、私自身も昔から感じていた感覚によく似ている。ココロの中に隙間があって、それを埋めるためにいろんな文章を読んだり、人と会ったりする。そうした中で、私はその隙間が埋められるような気持ちになっていた。姫乃たまが書いていたこの連載からも、その効用が感じられていたのだ。
彼女が27歳の誕生日に、レズ風俗に行ったエピソードがある。
この中で彼女は、昔から周囲の女性との関係に苦手意識を抱いていたことを吐露している。私が、人を怖いと思っていた感覚にも似ているかもしれない。
主に思春期の頃、自分と、周囲の他の人たちとの違いになんとなく気づいてしまう。その“ずれ”は徐々に大きくなって、ある程度年齢を重ねると、まったく違う場所にたどり着いているような恐怖感があった。
しかし、レズ風俗で「まこちゃん」とともに時間を過ごすうち、彼女の心と体は氷解し、それまでとは違った世界を見るようになる。
この文章を読んで、彼女の思いを追体験することで、私たちも何か救いを得ることができる。
セクシャルな交わりが、彼女にどんな変化をもたらしたのか。形は様々でも、誰もが経験するであろうできごとを、丁寧に言葉で綴っていく。それが、この本の本質であり、彼女に才能が与えられた意味なのだと思う。
もうひとつ、「なくしもの」の話が好きだ。
ある日彼女は、大切にしていたイヤリングをなくしてしまう。自身の不注意に対する後悔、無くなったものへの思慕。この一編では、「あるもの」と「無いもの」の不思議な概念が語られている。
今までの人生の中で、私は…いや、別に私に限ったことではないが、みなたくさんのものをなくしているのだろう。しかし、形のあるものや、もしかしたら形になっていないものも含めて、それらは元々あったものではない。“ものをなくす”というのは、持っていなかった頃に戻るだけの話である。
ただ、一度手にしたものについては、私たちの頭の中に「概念」として、それが出来上がる。無くなってしまえば、その概念の分だけぽっかりと穴が開くというわけだ。そして、時にはその穴は、痛みを伴うことがある。
彼女は、そんな穴のようなものに、目を向ける。
今まで無かったもの、見えなかったものに光を当て、名前を付けて命を与える。この連載の執筆によって姫乃たまが行っていたのは、そういう行為だ。
それはともすれば、ひどく孤独で苦しい作業であったろう。
しかし、意味を与えられた事象は、文章を通じて、私たち読者の元へと確実に届いている。
そしてまた、私たちは、そのことの意義を知り、新たな「無いもの」へと目を向けていく。
この本を読んで伝わってくる、彼女の中にある思い出、解釈、文章の力、そんな才能が、まぎれもなく私たちファンにとっての「永遠なるもの」であるのだ。
なくしてしまったもの、目に見えないもの。本当は、そんなもののことは考えなくてもいいのかもしれない。
喪失したものを見つめながら、あれこれと考えず。手に入れたら喜び、なくしたら悲しむ。そんなシンプルな生き方も幸せだと思う。そこをあえて考えるのは意味のないことだとも言える。
ただ、意味のないことを切り捨てるのは、優しくないと思う。優しければいいのかという意見もあろうが、私は世界が優しい方が居心地がいい。
何かが欠落した彼女の心には、同じような“欠落感”を持った人たちが集まってくる。多分、私もその一人だ。何度か彼女と「似ている」という表現を用いたが、それは容姿や状況ということではなく、欠落した心の形が似ているのだ。
そうして、彼女の文章を読むことによって、その心の欠けた部分を重ね合わせると、なんだか少しずつ痛みが和らいでいくような気がする。それは“共感”と言ってもいいだろう。
この本を読んで、共感を覚える私たちは、皆何かが欠けているのかもしれない。でも、欠けていなければ見えない世界があって、出会うことのできなかった人がいる。辛いことは多いけど、この形でなければ出会えなかった世界がきっとある。
そんな、何かが欠けている世界は、とても美しく、暖かだ。