こんばんは。

アカシックリーダー・看護師のHIROMIです🌸

 

 

今年もあと残りわずかですね。

毎年言ってるけど、1年が早い・・・。

 

今回は長文です。

(思いの外長文になったので、分けて書きますね)

 

 

明日は冬至。

今回の冬至はとてつもなく本当に大事な節目です。

 

これから、本格的に新しい時代の流れに突入します。

 

そんなタイミングで、私が やりきった、もう自分のために生きようと思ったその流れを書こうと思いました。

 

 

私にとって今年はとても大きな流れの年でした。

1月に前職を退職し、死ぬ思いで引っ越し、そのあとは身も心も完全に休養が必要な状態。

今年の3分の2は本当に寝てることがほとんどで、必要な時以外は外出できませんでした。

出かけて電車に乗ってても勝手に涙が出てきてしまうほど、限界を超えていました。

 

 

そのくらい、私は自分をすり減らしてしまっていたんですね。自分では気づいていなかった。

それまで、在宅医療の現場で10年近く働いていて、

患者さんの生活を支え、困った時には手を差し伸べられる距離にいたい、そう思っていました。

本当に楽しかった。

楽しかった、けど、自分の生活と仕事との境がなくなってしまって、

好きなのに、辛い、という葛藤がだんだんとできてきたんですね。

元々HSPでもあるし、人からのエネルギーに敏感、他の人の感情を敏感に感じ取ってしまう性質だったので、仕事ではとても役に立ったけど、

余計に境がなくなっていったのだと思います。

 

それに、長年学んできたスピリチュアルなことをどうにかして活かしていきたい、

でもこの生活をしていると他の活動ができる余裕がない・・・。

どっちも好きだから、どうにかできないものか・・・。

 

そんないろんな葛藤を抱えながら、だけど、目の前にいる患者さんに寄り添い、

自分なりに、できる限りのことをやってきました。

 

そして、2021年7月3日。

熱海の伊豆山で土石流が発生しました。

その日は土曜日だけど出勤していて、昼前にとんでもない映像が送られてきました。

それは見慣れた光景が、ありえない黒い濁流に飲み込まれていく光景でした。

何度見ても理解できなかったです。

 

私はまさに伊豆山に住んでいて、帰るための道はどこも寸断されてしまい、

そこから1週間は帰ることができませんでした。

それよりも、帰るどころかその日の夕方から、私が勤めていたクリニックが一番に、避難してきた方の対応を始めました。

そこから体制が整う3日間、本当にたくさんの避難されている方々の支援と、普段診ている患者さんのオンコールの対応と、お看取りと・・・。

私の中の「我」が消えて、ただただ、体だけでひたすら動いていた感じでした。やるしかなかったからです。

急遽とったホテルに戻れたのは連日23時近く。

自分の家の安否もわからず、親からの心配の連絡にもとりあえずな返事だけ。

もう、今まででは感じたことのない疲労感(という言葉では表現しきれない)魂が抜けた状態でした。

 

それから1週間。

ようやく家に帰れましたが、毎日通勤で通えていた光景は、もうありませんでした。

自衛隊の支援と、地元の人たちの力で道が通れるようになりましたが、変わってしまった光景を目にしながら

毎日通勤するのは気持ちを削られる思いでした。

 

私は海が好きで、伊豆山の山から見える光景に本当に癒されていました。

伊豆山という土地にご縁が深く、伊豆山神社はとても懐かしさを覚えていたので、愛着もありました。

どういう理由かはその時はわからなかったけど、私がここに来た理由が何かしらあるんだろうな、と確信していました。

 

その分、変わってしまった光景を目の当たりにするたびに、少しずつ、少しずつ、

心が折れていってたんだな、と、後から理解しました。

 

 

熱海の日の出

熱海の日の出

伊豆山からの海と月

伊豆山からの月と海

朝の伊豆山神社

伊豆山神社の桜

 


 

そして、その数ヶ月後、ふと、

 

「ああ、もう私がやれることはやりきったな。なんの悔いもない。やりきった。」

 

という思いが私の真ん中から出てきました。

 

何年も葛藤を繰り返してきた私の心は、もう完全に決まりました。

 

もう、ここを卒業しよう。

私がやれることはやった。

看護師を辞めても悔いはない。

もういいよ。よくやった。

 

そこから、誰かのためではなく、私のために生きる、自分を取り戻す旅が始まりました。

 

これ以上やると、私の心が壊れる。

 

そんなことも感じていました。