十二所神社(じゅうにそうじんじゃ)

十二所の鎮守社。



中世には三浦十二天(『吾妻鏡』)、近世期には十二天社(『新編相模国風土記稿』)・十二天明神社、または熊野十二所権現社とも称された。

創建年代は定かではなく、弘安元年(1278年)との伝承があるが、寿永元年(1182年)8月11日の条には北条政子の出産に際して、奉幣使が派遣されたとの記述が(『吾妻鏡』)、さらに8月13日の条には十二所神社のほか諸社に源頼家誕生を祝って神馬を奉納した旨が記されている(『吾妻鏡』)ことなどから、遅くとも12世紀末までには確立していたと見られる。



古くは、現在の光触寺境内にあったと伝えられる(『新編相模国風土記稿』)が、天保9年(1838年)に現在地に再建された。

当時、別当寺院を務めていた明王院所蔵の記録『十二所権現社再建記』によると、この再建事業は、氏子三十余軒による土地・用材の寄進と土木開墾の奉仕によるものであるという。



明治維新により現社名に改称され、1837年(明治6年)、十二所地区の鎮守として村社に列せられた。










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八雲神社

鎌倉最古の厄除け神社




疫病が流行って人々が困っていた1083年、源義家の弟・新羅三郎義光が京都の祇園社(現在の八坂神社)から祭神を分霊して祀り祈願したところ、疫病が鎮まったことから厄除け開運の神社として知られるようになったとのことです。

祭神として、須佐之男命(すさのおのみこと)・稲田比売命(いなたひめのみこと)・八王子命(はちのおうじのみこと)・佐竹氏の霊(さたけしのみたま)が祀られる、鎌倉最古の厄除け神社です。

毎年7月には「大町まつり」が3日間行われます。

毎年7月の八雲神社の例祭は、地名から「大町まつり」と呼ばれています。

普段は宝蔵庫に安置され、ガラス越しにしか見ることのできない4基の神輿が繰り出し、乳幼児を抱いて神輿の下をくぐる「神輿くぐり」では、子どもの無事な成長を祈願することができます。

神輿は天王唄を歌う氏子達に担がれながら町内を練り歩き、夜には提灯を取り付け「神輿ぶり」の伝統が見られます。

出店が出て、お囃子や神輿の掛け声が聞こえ、盆踊りや演芸大会まで行われる、とても賑やかな3日間です。

新羅三郎義光の手玉石

境内には御神木の足下に、新羅三郎義光の手玉石があります。

石を持ち上げることはできませんが、ご利益のある石としてなでて厄除け開運を祈願することができますので、なでてみてください。

祇園山のハイキングコース

本堂の正面左右にある雨水をためるための「天水盤」は、武州(現在の埼玉県)の鋳物師 鈴木文吾氏によるものです。

鈴木文吾氏は、東京オリンピックの聖火台を作成した人物としても知られています。

八雲神社の裏山は「祇園山」と呼ばれていて、本堂の右側の天水盤脇から登山口があり、東勝寺跡まで約30分の祇園山ハイキングコースになっています。









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常栄寺は、別名「ぼたもち寺」といわれる。




その名は、文永8(1271)年、鎌倉幕府に捕らえられ龍ノ口の刑場に引き立てられる日蓮に、この地に住んだ桟敷の尼(さじきのあま)が、供養としてごまのぼた餅を差し上げたことに由来する。




この後、日蓮は刑場に連れて行かれるが(龍ノ口の法難)、奇跡が起こり死罪を免れたため、世に「御首継ぎに胡麻の餅」と言われるようになった。

お寺でぼたもちを売っているわけではないが、龍ノ口の法難のあった9月12日には、参詣人にもぼたもちの供養接待が行われる。









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