二人心中。
シール帳が流行ってるんだってね
懐かしいね
小学生の頃みんな持ってたなー
自分も欲しくて買ってもらったな
交換はしたことないけど
シールの交換はレートを気にしないと
いけないらしい
そんな頭使う遊びだったのね
ボンドロと百均は交換出来ないって
百均かわいいのいっぱいあるけど
価値は百均でしかないってこと、、?
自分のボンドロと、相手の百均のかわいいの
私は交換しちゃうなぁぁぁ
だって私はそのかわいいシールに
ボンドロ1個の価値を見出しちゃうから
自分の子供がお友達とシール交換して
相手にあげてばかりで
自分のシール帳すっからかんで帰ってきた
みたいな話をよく目にする
私はその子タイプだから
少し気持ちわかるかも
相手が喜んでくれたら嬉しいんだよ
自分が欲しいの手に入らなくても
欲しがってるならあげるよってしちゃう
自分が特に欲しい物なくても
相手が求めてくれるならあげちゃう
シールに限らずその精神がある
破滅するタイプ
SNSで見かける子供がそういう子の親は
とても心配していた
リプ欄も同じく
ものを大切にしないのとは違うの
執着がないとも違うの
自分の気持ちより相手の気持ち尊重しちゃうの
書いてて思ったけど
そりゃ心配になるね
シールに限らずそういう場面が増えてくると
いずれ苦しむのはその子だ、、
私はなぜそういうタイプに育ったのか
考えてみたけど単純に性格としか
欲しいものが手に入る
嬉しい
みんなにこの感情味わって欲しい
じゃあ欲しいもの与えたい
それか逆パターンで
欲しいものが手に入らない
悲しい
手に入ったら嬉しい
欲しがられたらあげたい
相手の立場で物事考えがち
奥が深いシール交換
幼い子供たちの潜在意識が露わになる
私は今でもあの頃のその気持ちが
どこからきていたのかはわからない
なんでもあげちゃう子供だった
大人になってから少しだけ、
自分の大切なものは手放さないって
決められたとこもある
それは過去の自分がいたから
学んで考えて行き着いたところ
必要な過去だった
などと最近思いました
小さい頃からブロッコリーが好きだ
好きな食べ物聞かれてブロッコリーとは
答えたことないんだけど
サラダにもお弁当にも入ってると嬉しい
大人になってからは
冷凍のブロッコリーをよく使っている
ブロッコリー食べる度に思い出すことがあって
幼稚園の頃お弁当の日と給食の日があったの
その日はお母さんがお弁当作ってくれて
ブロッコリーいれといたからねって渡されて
ウキウキで過ごしてお昼の時間になって
そしたら給食の日でさ
せっかくお母さんが作ってくれたのに
自分のために好きな物入れてくれたのに
って悲しくて泣いちゃった思い出
帰りのバスまでずっと落ち込んでて
お母さんに何て伝えようって考えてて
お迎えに来てくれてたお母さんに会ったら
ごめんね給食の日だったね〜!って笑ってて
すごく安心したのとまた号泣したとこまで
全部覚えてるんだよなぁ
ブロッコリー見ると思い出す
お母さんはきっと覚えてない
いつか伝えよう
最近ほんとに仕事がしんどくて
なんで働いてんだろうとか
なんでお金稼ぎたいんだっけとか
自分じゃなくてもいい仕事に
こんなすり減らしながら
従事する必要性とか人生とか
生きる意味とか迷宮に迷い込んでたけど
自分と対話して過去を振り返って
少し思い出してきた
自分ずっとお金がない暮らしてしてきて
欲しいもの行きたい場所
必要なものさえ我慢してきた
お金さえあればってずっと思ってた
自立して自分で稼いだお金で暮らしてこうって
お金を稼ぐ、働く理由は
自由になりたいからだった
じゃあ今何が不満かって
どこにでも行けるのに
縛り付ける何かがあることだ
猫氏がいるから何泊も旅行は無理にせよ
月一でも日帰り旅行することは可能なのに
どこにも行けない
行きたい場所に行けない
行ってくるが言えない
自分の足で、自分のタイミングで
行きたいのに邪魔をする
行先、目的、時間、全部
事前に準備してないといけない
一緒に行きたいわけじゃない
でも相手を否定できない
ひとりで行きたいが言えない
お金は稼げても自由にはなれない
むしろ自由じゃないなら必要ない
どうなりたかったんだっけ
どう生きたかったんだっけ
ここまできたのに
自分のこと理解してないのに
他人と人生を歩むなんて
無理な話だったんだ

