読書の季節となりました。
きっと今頃は学校で読書週間で本を読んでいる方もいるのでは。
私はすっかり社会になってから本を外で読む習慣が減り、これはいけない傾向だ!と読む機会をふやしているのですが、生憎年齢のせいか、バスの中で本を読めなくなりました。
無理して読んで頭痛が起きる。というのも嫌なので、バスの待ち時間とか。といってうまく時間がとれれなかったり笑

さて。愛読書といえば、私は白鯨であります。唯一物語と言って良いはず。他になりますと伝記と哲学や戦争論とか親に意味が分からよと言われるやつを好んで読みます。
昔からハリーんたら。とかダレンうんたら。とか、出来上がった、読むだけの物語が嫌いでした。フィクションの物語が苦手だったんです。
でも、ノンフィクションだとしても伝記や論というのは私にとっては別の誰かが手を出したじてんでフィクションだ。というイメージが勝手にあったわけです。
結局、ノンフィクションを他人に伝えるのは不可能に近いのです。現実を元にして出来たとしても多分本人達に?が残るものもある。現実的にニュースは真実を話さない。
ノンフィクションのドラマも結局は同じ。理想と妄想。監督や他人の私情が物語に変えてしまう。

ただ、ノンフィクションは元があります。それを知って勉強できる。それは素晴らしい事です。人や戦争、歴史、事件。忘れてはいけない、考えなければいけない、伝えなければならない、それを教えてくれる。
そして、また自分達が知り、学び、伝え、また誰かが知るきっかけになる。
そう考えると好きなんです。
その作品は作品。偉人は偉人。と割り切った上での話になるわけですが。

だから歴史や偉人の映画をみるとして、観て、ながしたりよかったね。で終わらせるのはちょっと勿体ない。
今度は自分が調べ学び、伝えてみてはどうだろう。なんでもかんでもはいかんですが、自分にずっしりきたもの。
押し付けじゃなくて、見て、なんか興味わいたよ!て数人に言われたら、それも凄いことなんではないかな。とか思うんです。

まだまだ子供みたいな考え方しかできないかんじですが。
誰かが作った物語に夢中になるのが昔から苦手だった人間の戯言です。
ただ、物語も妄想すると楽しいです。頭の中で映像化して動かすんです。
しかしそれには自分にしっくりくる文章を書く作家さんとの出逢いがひつようなんですが。

私も一人だけいます。昔家庭科の先生に教えてもらった法医学ミステリーの小説があるんですが、スルスル動画になるものだから楽しくてシリーズ全巻読みました。
何時か挿し絵を描くのが夢。そんなドリームを描いた中学生時代。いまだに実は諦めていない。笑


まぁ、いまは、そういう本に出会うのは難しく出逢いをまっていたり。
という。ぐだぐださん。