How to Richman?
ちょっと前に書いた
『功名が辻』の続きです。
山内一豊という男には、有名なエピソードが沢山あります。
今回は、その中でも俺が紹介したくてたまらない話をします。
西暦1600年、、、
そう、関ケ原の戦いです。
信長、秀吉と主人を変えてきながら小大名という身分。
その気になればドンドン昇進できた時代に、
それも『織田』、『豊臣』という世を制圧した人物の家来で、約20年で5万石しか稼げなかった男が
いかにして徳川の世に変わってから土佐24万石にまでなったのか?
一豊は、合戦の時、徳川の側についていました。
教科書では、
1600、関ケ原の戦いで徳川家康が勝つ
ぐらいのことしか書いてません。
しかし、家康はこの戦い、かなりキツかったのです。
だから、
「今から西軍(石田三成)についていいぞ。もしそうなら馬も人も貸してやる」
と諸大名(のちの親藩、譜代)に言いました。
みんな悩みました。
西軍のが有利だし、、、
そんなとき、福島正則という男が
「殿についていきます。ここにいる一同も同じ気持ちでござろう。」
と言いました。
こうなってはしぶしぶ皆も同意せざるをなくなっていき、さらにとどめの一言!
「わしも同感でござる。家族も財産も全部預けます。」
みたいな一言がありました。
それを放ったのは山内一豊。
なんと人質までさしだすというのだ。
2人にこうも言われては他の皆も同意せざるを得ない感じになり
全員人質と財産を差し出すことになり
否応なしに士気が上がりました。
結局、勝敗を決したのは、
西軍、小早川英明の裏切りで一気にに家康に勝機が傾き、世の中は家康の時代となったのです。
さらに言うと、
山内一豊は、かなり後ろの方に布陣していて、戦場で活躍などほとんどしませんでした。
もっともこれを考慮すると、
あの山内一豊の発言にどれだけ家康が救われたかが読み取れますね。
こうして、5万石から24万石の土佐藩主へと成り上がった訳です。
長い文ですみませんでしたm(__)m笑