カズオ・イシグロ氏の、『遠い山並みの光』を、原書で読んでみた | 創作ラボ2

カズオ・イシグロ氏の、『遠い山並みの光』を、原書で読んでみた

カズオ・イシグロ氏の、『遠い山並みの光』を、原書で読んでみた。

 

ノーベル文学賞を受賞した作家だから、さぞかし、難解な文章だろうと思っていたが、比較的、やさしい英語で書かれている。

 

意味の分からない単語は、1ページに、2、3個程度。

 

これなら、ほぼ辞書なしでも読める。

 

現在、英国に住んでいる主人公が、長崎にいた時代を、記憶を辿りながら語り、そして、時々、現代の物語に戻って来る。

 

時間が交錯し、場面が突然変わり、少し混乱する。

 

記憶を辿りながら書くという手法は、『日の名残り』にも見られる。

 

英語の原書で読んでみると、英語と日本語の言語の背景にある文化の違いが分かる。

 

この作品の日本語訳の本は読んでいないので、どういう雰囲気の物語になっているのかは分からない。

 

英語は自己主張をする強い言語であり、日本語とは対照的である。

 

主人公の、『えつこ』が長崎にいた時代に、近所に住んでいた、『さちこ』と、その娘の、『まりこ』との日々の出来事が、会話を通じて語られる。

 

会話文が多いので、比較的平易な英語が使われ、そのことによって、英語が母国語ではない読者も理解しやすくなっている。

 

文章の構文にしても、奇をてらったところがなく、素直な文体で書かれている。

 

しかし、日本人的感覚からすると、英語の会話文は、女性が喋っているにもかかわらず、会話に優しさが感じられない。

 

英語は、男言葉、女言葉が基本的にないことによって、優しさが感じられないのかも知れないが、英語という言語そのものが、表現のきつい言語のように感じられる。

 

日本語は、自己主張しない、争いを避ける言葉であり、音的にはアクセントもなく、優しく、耳障りなこともなく、日本語を喋っていると、心が和んでくる。

 

英語で書かれているので、仕方のない事だが、日本人同士が、英語で会話しているのは実に奇妙である。

 

英語で書かれていると、対話が無機的で、敵対的で、融和的ではない。

 

英語だから仕方ないが、日本人の名前が、アルファベットで書かれていると、日本人の名前には思えない。

 

『えつこ』、『さちこ』、『まりこ』、『にき』はどういう漢字で書くのだろうか。

 

人物の名前だけでなく、奇妙に思ったことがある。

 

主人公の夫と、義理の父が、『チェス』をするシーンが出てくるが、二人とも、戦前生まれで、敵国のゲームである『チェス』をするのは一般的ではないと思う。

 

ふつうは、『将棋』をするはず。

 

イシグロ氏が、『将棋』を知らないとは思えない。

 

この作品は、戦後の長崎が物語の中心となっている。

 

長崎は原爆が落とされた場所でもあり、全体的に、この物語には戦後の日本の陰鬱で物悲しい空気が漂っている。

 

この物語では何も大きな出来事は起こらない。

 

起こりそうで起こらないと言うべきか。

 

まりこが川の土手の近くまで行って、日が暮れるまで家に戻ってこない場面では、まりこが川に入っておぼれる事故が起こるのではないかと思われた。

 

まりこの母親が、まりこの飼っていた猫を川でおぼれさせ、まりこは川に流れる猫を追いかけ、川のほとりに座り込む。

 

日が暮れかかっている状況で、母親は、まりこが猫を追いかけて、川に入ってしまう危険があるにもかかわらず、まりこをそのまま放置する。

 

まりこの母親は、猫をおぼれさせ、何度も娘を叱りつける気性の激しい女性として描かれている。

 

まりこの母親は、米国人を追いかけて米国に渡ろうとしている。

 

読者は、まりこの母親が米国人に騙されているのではないか、米国に行ってもけっして幸福にはなれないと感じてしまう。

 

まりこの母親は長崎にいることが嫌で、米国に行くことが、娘のまりこにとってはいいことだと信じようとしている。

 

主人公は、現在は、英国に住んでいるのだが、最初の娘は、引きこもりで自殺した。

 

自殺した、『けいこ』は、もうこの世に存在していないのに、かつて、けいこが使っていた部屋、そして、主人公が住んでいる家には、けいこの気配が漂う。

 

まりこの母親にしても、主人公が長崎にいた時代の近所にいた、うどん屋の女主人にしても、登場人物のそれぞれが、胸の中に苦しく悲しい物語を抱えている。

 

まりこの母親は、まりこの将来がもっとも大切で、過去と現在がどんなに辛くても将来に希望を持つべきだと何度も言う。

 

まりこにとって将来の希望が米国へ行くことである。

 

過去と、現在がどんなに苦しくても、将来への希望を持つことが大切なんだと、この物語は語っているように思う。

 

何でもないような日常を描いている物語だけど、大地が雨を吸い込むように、じわっと心に染み込んでくる。

 

この物語に何も共感を覚えない者は、現在が幸せなのかも知れない。

 

多くの悲しい事を経験した者は、この物語が心に響くはず。

 

人生は、悲しく、淋しく、つらいもの。

 

しかし、我々は、前を向いて進むしかない。

 

川の流れのように、人の世は続く。

 

この物語は演歌である。