『日航123便墜落新事実』、青山透子著
『日航123便墜落新事実』、青山透子著を読んだ。
日航123便が、1985年8月12日御巣鷹山に墜落して、520名が犠牲になった。
青山透子氏は元、日航のスチュワーデスである。
123便に搭乗していたわけではない。
この事故は、実は事件であった。
この飛行機の墜落に関してはいろいろな憶測、陰謀論があるが、そういった陰謀論ではなく、事実を積み重ねたドキュメントである。
圧力隔壁が破壊されて、客室から噴出した空気によって、垂直尾翼が破壊されて123便が墜落したというのが公にされている墜落の原因である。
しかし、機内から流れた空気によって垂直尾翼が破壊されたのであれば、乗客が客室から吸い出されたはずだか、そういうことはなかった。
123便に向かって飛んで来るオレンジ色の飛行物体が写真に撮られている。
そのオレンジ色の飛行物体を、ボイスレコーダーに記録されていた機長の声は、『オレンジエア』と言っていた。
自衛隊上がりの機長は、『オレンジエア』が123便を追尾してきたことを知っていた。
公開されているコクピットでの会話は編集されて、継ぎはぎの音声になっている。
『オレンジエア』を、『オールエンジンフェアー』と聞こえると解説している元機長と称する者や、音声解析者がいるが、『オールエンジンフェアー』と聞き取るのは無理がある。
『オレンジエア』とは、自衛隊の無人標的機、その無人標的機を敵機とみなして戦闘機が空対空ミサイルで破壊する。
123便が墜落した時刻の前から、相模湾で海上自衛隊が、短距離艦対空誘導弾のテストをしていた。
123便を追いかけるようにして飛んでいる自衛隊の2機のファントム戦闘機が目撃されている。
123便の墜落した場所はすぐに特定されて、複数のヘリコプター、飛行機がその上空を旋回していた。
米軍のへコプターが救助しようとしていたが、救助停止命令が出された。
墜落の直後から、墜落場所は特定されていたのに、公的には、墜落場所が特定されたのは翌朝になっている。
本格的に救助が始まるまでの空白の時間に、何かが行われていた。
それは、死体が語っていた。
死体が高温で焼かれたように炭化していたのだ。
現場には、ガソリンとタールの臭いが漂っていた。
誰よりも早く、現場にたどり着いた地元の人は、少なくとも数十人の乗客の助けを求める声を聴いた。
そこに自衛隊員が現れたが、彼らは生存者を救助することなく、何かの破片を集めていた。
何かを集めたあと、生存者は、自衛隊によって火炎放射器で焼き殺された。
救助の現場に向かおうとしていた自衛隊員数名が射殺されたというニュースが報道された。
事実を積み重ねていけば真実が見えるはずだか、真実を語らない者がいるから、憶測ばかりが流れる。
真実はいつになったら明らかになるのか。