命が尽きるまで、三島はペンで戦うべきであった | 創作ラボ2

命が尽きるまで、三島はペンで戦うべきであった

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家の本棚に、本を並べようと思った時、なんとなく、三島由紀夫全集を並べようと思った。


とくに、三島由紀夫が好みだというわけではなかった。


全集は、いつか時間のできた時に読もうと思っていた。


それで、今、ほんの少しづつ読んでいる。


現在、『潮騒』を読んでいる。


三島由紀夫の文章はやたらと漢字が多く、しかも旧漢字で旧仮名を使っている。


それだけで、読みにくい。文章が硬い。しなやかではない。日本語固有の、わび、さびが感じられない。


日本語を美しく使っていない。


日本語のしなやかさ、やわらかさを充分に表出しているのは川端康成である。


三島由紀夫の文体は、小説むきではなく、論文向きである。


三島の文体に感じる違和感は、日本語と、日本の文化をよく知っているフランス人が書いたような文体といえばいいだろうか。


三島は、保守の旗印のようにもたとえられているが、フランス、米国に憧憬を持っていたように思える。


文章の中にやたらと、唐突に、カタカナ英語が出て来る。


その点、川端の文章には、カタカナ英語はほぼ見られない。


川端の文章は、源氏物語を想起させる。


三島が、男色であり、自決という形で命を絶ったのは、肯定的な目では見られない。


一部の保守は、三島の最期に共感しているようだが、私は全く共感できない。


自決は自己陶酔の極致であったように思う。


三島には、ペンという武器があったのに、自らその武器を放棄した。


まさに、命が尽きるまで、三島はペンで戦うべきであった。