大義名分
『八重の桜』を見た。
松平容保が、京都守護職になっていく過程が描かれていた。
ほんとは、守護職などやりたくはなかったのか、あるいは、逆に、すすんで、守護職になったのだろうか。
ドラマでは、松平容保は、京都守護職などやりたくはないと描かれていたのですが、なんとなく、すすんで、守護職になったのではないかと思います。
幕末の時代の日本人は、志があった。
誰かのために、大義名分のために命をかけることが美徳とされていた。
逆に言えば、人は、高邁な大義名分のためには命をかけることができる。
人は、生きることにも、死ぬことにも、口実が必要なのだろうか。