トマス・ハーディの、『ダーバヴィル家のテス』を読み終えた
トマス・ハーディの、『ダーバヴィル家のテス』を読み終えた。
ほとんど、2年くらいかかって読み終えた。
この物語が書かれたのは、日本では、明治時代の中頃ほど。
日本語であっても、明治時代に書かれたものは現代語訳にしないと読めない。
まして、イギリスの物語になると、文化、宗教的背景が違うから、単純に翻訳しただけでは、理解しがたい部分がある。
とくに、宗教的描写、そして、風景描写。1800年代のイギリスの風景など、もちろん、知らない。
現代であっても、イギリスの片田舎の光景は、想像もできない。
だから、この長い物語は、日本人になじみのない部分は、省略して、現代語訳にすれば、もっともすんなり理解できたのではないかと思う。
この物語の悲劇のヒロインは、テスであることには同意するが、全面的にテスには同情はできない。
この物語には、悪人ばかり登場して、善人が一人もいない。
悲劇のヒロインのテスも、冷静に考えると、善人ではなかった。
法的に見れば、この物語の中では、罪人だった。
悪人ばかりが登場するけれど、テス以外の者は、殺人は犯していない。
物語の終盤の展開があまりにも性急だった。
エンジェルと再開したテスは、突然気がふれてしまったのか、アレック・ダーバヴィルを刺し殺してしまう。
その後、エンジェルとテスは、手を取り合って逃避行に出る。
最後は、夜が明けようとするストーンヘンジで追手に捕まってしまう。
夜明けのストーンヘンジのシーンが印象的だった。
実は、この作品は以前にも読んでいる。
その時は、現代語訳のダイジェスト版で読んだ。
今回読み終えたのは、『集英社ギャラリー世界の文学3・イギリスⅡ』に収められているものだ。
岩波文庫の文庫本より、この文学全集の翻訳のほうが読みやすかった。
テスが捕まるストーンヘンジのシーンが、ものすごく印象に残っていた。
ペーパーバックでも、読んでみようとした。
最後まで読みきることはできなかった。
逮捕された後のテスはいったいどうなったのだろうか。
処刑されたのか、きちんと、裁判を受けて、刑に服したのだろうか。
そのへんのところは分からない。
トマス・ハーディは、運命論者だったけど、スコット・フィッツジェラルドも運命論者だったのではないかと思う。
スコット・フィッツジェラルドは、『人生は、崩壊の過程である』と言ったけど、その言葉を、ひしひしと実感する。