1Q84 BOOK3 総括
昨日のアメブロのアクセス数が異常な数値になっていた。
アメブロのスタッフが何かを企んでいるのか。
全く、リアリティのないアクセス数だった。
リアリティといえば、ほとんどリアリティの感じられない、BOOK3で、リアリティを感じてしまった場面がある。
それは、牛河の殺害場面と天吾の父親が死亡してから、葬儀の手続きをする場面。
もちろん、殺人の場面など、目撃したわけではない。
ビニール袋を頭に被せて窒息死させるのはこんな感じなのだろうと、みょうに、リアリティを感じた。
確か、村上春樹氏は近頃、実父を亡くされているはずです。
その時の葬儀の手続きなどは実際に体験されているはずです。
だから、リアリティがある。
BOOK3でもっとも共感できたのは、天吾の父親の死亡から火葬するまでの場面だった。
葬儀の場面を、実際に何度も目にしている私としては、胸に迫るものがあった。
全般にリアリティが感じられないBOOK3だけど、姿の見えない、NHKの集金人は、実在の集金人なのか、天吾の父親の生霊なのかははっきりしない。
生霊というのは、現実の世界でもありえないわけではない。
BOOK1,2までは、パラレルワールドにしても、もしかしたら、ありえるかも知れない、現実と、非現実が交差する世界を描いていた。
ところが、BOOK3では、より非現実の世界に入り込んでしまったように思える。
村上春樹氏は、本来書くはずではなかった、BOOK3を急遽書くことにした。
村上春樹氏は迷っていた。
充分に構想を練って、推敲を重ねる時間もなく、見切り発車してしまった。
BOOK3では、新しいキャラクターは登場することなく、細かな情景描写の繰り返しと、言い訳の繰り返しと、天吾と青豆の再開のために、膨大なページを費やしてしまった。
単なるファンタジーとしても、SF小説としても、中止半端で、もちろん、純文学でもない。
ファンタジーであっても、SFであっても、その物語の世界には、その物語の世界のルールと合理性があるはず。
物語がそのようなルールと合理性に基づいて展開されるなら、物語はリアリティを持ち、読者は共感する。
ご都合主義的な、あるいは、決して現実の世界では起こりえない、超常現象的な展開をする場合は、それに対する合理的な説明は必要だろうと思う。
もしかしたら、村上春樹氏は精神的に追い詰められた状態で書いたのかも知れない。
BOOK3の続編があるとしたら、充分に構想を練ってほしい。
続編のタイトルは、必ずしも、『1Q84 BOOK4』である必要はない。
天吾と青豆は、1Q84のパラレルワールドから、現実の1984に戻ってきたのだから、タイトルは全く別のものになってもいいだろうと思う。
天吾と青豆とその子供と、『さきがけ』との対決の物語として書いてもいいのではないかと思う。
卵と壁、あるいは、個人とシステムという対決の物語にすれば、分かりやすくて、すっきりする。
村上春樹氏の作品は、『風の歌を聴け』以来、長編を中心として、おおむね読んできた。作風は、作家が年齢を重ねるとともに変化したように思う。
村上春樹氏が、1Q84的作風で今後も書き続けるのであれば、残念ながら、ノーベル文学賞は霧の向こうに姿を消すのではないかと思われる。