源氏物語の謎 ④
紫式部が実在したとして、紫式部とは、もちろん、本名ではないが、なぜこのように呼ばれていたのかということについては、いくつかの説がある。
よほど高貴な身分でもない限り、平安時代は、女性の本名の記録は残らなかったらしい。
式部とは、父親が式部の丞だったらから、式部と呼ばれたということだが、自身の官職名ではなくて、父親とか、兄弟の官職名で呼ばれるというところが現代の感覚からすると、奇妙に思われる。
『紫』というのは、たぶん、源氏物語の『紫の上』から由来するものだろうといわれている。
いずれにしたところで、『紫式部』とは、通称だったということで、実名は分からない。
現代でも実名と、通称が違うということはありえる。
女房は一人ではなくて当然、何人もいただろうと思う。
この期間に源氏物語が書かれたとしても、時間的には、可能だろうと思う。しかし、女房という女官には大河ドラマの源氏物語を書く時間がほんとにあったのだろうかと疑問に思う。
当時の中宮の女房の一日の仕事はどういうものがあったのかが分かれば、源氏物語を書く時間があったのかどうかはある程度推測はできる。
女房の仕事はおそらく中宮の部屋付きであっただろうから、外に出ることはほとんどなかっただろうし、実際に紫式部が明石や須磨に行くことはなかっただろうと思う。
女房としての公的な仕事の合間に、はたして、五十四帖の長編小説を書く時間があっただろか。
その当時、日本国内でも、世界の他の国でも長編小説を書いた者などいなかった。そいうことを考えても、一人の女房が長編小説を書いたとは思えない。