冷血の事件から50年 | 創作ラボ2

冷血の事件から50年

今からちょうど50年前の、1959年11月15日にアメリカのカンザス州の片田舎で、一家惨殺の事件が起きた。その事件を6年年間、徹底的に取材して書かれたのが、ノンフィクション・ノーベルの、『冷血』です。


著者は、『ティファニーで朝食を』で時代の寵児となった、トルーマン・カポーティです。


実は、『冷血』は本棚の中に眠ったまま、まだ読んではいません。読む前に、カポーティがどういう経緯でこの作品を書くに至ったのかを知っておこうと思って、『カポーティ』のDVDを借りてきました。


カポーティがどういう人物なのかはほとんど知識を持っていないままにこのDVDを見てしまうと、ほんとに、この人がカポーティなのかと、首をひねってしまう。


カポーティは、天才的才能を持っていたのだということは分かっていたのですが、『カポーティ』の中では、しゃべり方がどうもふつうでなく、饒舌で、それに、同性愛的なのがなんともしっくりこなかったのですが、これは実際のカポーティの人格なのだと理解していいのだろうか。


カポーティの人格を全く知らなかった自分としては、少々衝撃的でした。


一度読んだもの、聞いたことの94%は覚えていると、『カポーティ

』の中の主人公のカポーティが何度か言っているのですが、そういう記憶力がカポーティの天才的なところなのでしょう。


犯人に取材していくうちに、カポーティと犯人の間に友情のようなものかが芽生えてくるのですが、カポーティ自身は、作品を完成させるためには、裁判が結審して、早く、事件が終わること、つまり、犯人の死刑が執行されることを望んでもいるようですし、犯人を救いたいという気持ちもある。二つの矛盾する感情のカポーティは逡巡する。


カポーティが作品を完成させるためには、事件の現場で実際にどういうことが起こったのか知る必要があったのだが、犯人はなかなかそのことを話さない。


そして、ついに、犯人が、事件の現場で起こったことを話した時、カポーティの犯人に対する友情は瓦解したようにも思える。


『カポーティ』の中では大きなアクションもなれれば、大きな事件のようなものも起こらず、淡々と物語は進んでいく。


『カポーティ』は、主演男優のフリップ・シーモア・ホフマンの演技によって、じわっと、身にしみてくる映画になっている。


個人的には、ふつうに、男らしいカポーティのほうがいいのだが、実際のカポーティはどういう人格だったのだろ。