芥川賞とはこんなものなのか

第135回芥川賞受賞作の、『八月の路上に捨てる』(伊藤たかみ著)を読んでみた。
芥川賞というのは、国内の純文学の最高峰の賞だから、さぞかし、深遠な、あるいは高邁な思想とか、暗喩に彩られたものだろうと期待していました。
ところが、?。これがほんとに芥川賞なのだろうかと、首を何度もひねるような小説でした。純文学というよりは、大衆小説に近いような感じを受けました。
日本語の文章としては、文法的にはおかしな表現はないので、文章としては何も問題はないと思います。難しい漢字とか、語句とか、四文字熟語とか、文学的な表現もあまりなくて、読者はすらすらと読めます。
ストレスなく読めるというところは評価できるのですが、芥川賞がこれでいいものかという疑問符は、小説の最後の一文を読み終えるまで払拭されることはありませんでした。
社会的な問題提起とか、普遍的な宇宙の真理とか、独自の文学的センスに裏打ちされた表現などを求めてこの小説を読むとがっかりするだけです。
前評判のいいレストランで食事をしたのに、どうも、自宅でサンドイッチを食べたような程度の満足感しかないような感じです。
半分も食べないうちに、食べるのをやめて、他のレストランに行くことを考えてしまいます。あるいは、高いお金を出して外で食事するよりも家でたべたほうがよっぽとおいしいと思うはずです。
日本語で書かれた小説よりも、外国語で書かれた小説の翻訳のほうが歯ごたえがあって美味しいと感じてしまいます。
チャンドラーにしても、サリンジャーにしても、シェイスクピアにしても、歯ごたえがあって、何度食べても美味しいのです。
日本語で書かれた美味しい小説は、古典の中にあるのでしょうか。