能動的な行為 | 創作ラボ2

能動的な行為

一週間に一冊は読もうと予定していたのですが、どうも、そのペースは大きく崩れています。



読書のために使う時間は、一日、一時間程度です。


もっと読書のための時間を作るべきなのなですが、睡眠時間を削るのは身体によくないので、午前一時までには、寝るように心がけています。




家に帰ると、なんとなく、テレビの前に座って、ぼんやりテレビを見ます。


そして、同時に、文のページを開きます。


テレビの音量は、聞こえるが聞こえない程度にします。


これだと、どんな内容の番組なのかは、あまりよくは分からないのですが、目の端のほうで、画面をちらちらと見ながら、活字を追います。


これでは、テレビを見ているとは言えないと思うし、読書をしているとも言えないように思います。


なんとなく、とりあえずはテレビは見ていて、とりあえず、読書はしているような状態ですが、このとき、脳はどんなふうに働いているのか気になります。


こんな状態での読書が一時間程度で終わって、あとは、パソコンの前に座って、あちらこちらのサイトを見て、自分が管理しているブログの更新をします。


できるだけ、このブログは昼間に更新するようにして、他のブログは夜に更新します。


更新といっても、毎日、書くことがあるわけでもなく、ほんとに、頭の中の脳のどこかの部分にはかなりの負荷をかけながら言葉と文章を、脳のどこかの部分からほじくり出します。


なかなか言葉が頭からはじき出ないので、再び、読むともなく、本のページを開きます。


それでも、うまく言葉が形にならない場合は、家の中を歩き回ります。


そんなことをしながら、午前0時が近づき、風呂場へと向かうことになるわけです。


水に濡れても読める本があれば、風呂場でのんびりと本を読めるわけですが、防水加工した本というのは見たこともないし、たとえ、あったとしても、高価なものになりそうで、そこまでして読書をする必要もないと思います。


通勤通学の電車とか、バスの中で読書をする人がいるのですが、そうでもしないと、なかなか読書のための時間を作ることはできないのかも知れません。


パソコンも持ってなくて、インターネットなどしないというのであれば、パソコンの前に座る時間を、読書に充てればいいわけです。


でも、パソコンのない暮らしは今では考えられないし、そういう環境の中では、読書は受動的なものではなくて、かなり、能動的な行為だということです。