腕のいい魔法使い | 創作ラボ2

腕のいい魔法使い

現在、チャンドラーの長編小説を読んでいるのですが、訳自体が少々古臭い。


とはいっても、もともと、1949年に書かれたものであり、読んでいる文庫本は、1959年に初版が出版されている。1959年といえば、チャンドラーが死亡した年で、今年でちょうど50年ということになる。


村上春樹氏は、翻訳には、賞味期限というものがあると言っているけれど、確かにそうかも知れない。50年前の言葉遣いと、現在の言葉遣いは当然違うから、現在の言葉で、もう一度翻訳する必要がある。


探偵小説というのは、探偵が行動すると、うまい具合に、死体が転がっている現場に出くわしてしまう。そんなに、都合よく死体がいくつも転がるはずがないだろうと、思うのだが、小説の世界だから、そういうとにも読者は寛容にならざるを得ない。


そんなに都合よく死体が転がるはずかないだろうとか、フィリップ・マーローは、やけにもてもてで、簡単に死ぬこともなくて、タフなのはおかしいと、読者が思ってしまっては、小説を楽しむことはできない。


読者は、小説の中の物語は、フィクションなのだという了解のもとに、日常的な頭ではおかしいと判断するべき物語の中に、日常を離れて没頭することを求めている。


読者を催眠術にかかったような状態にしたり、あるいは、何光年ものはるかかなたに読者を日常から引き離すことがてきたら、その作家は本物の魔法使いよりも、魔法の使い方が上手いということだろう。


読者は、作家の魔法に喜んでかかってしまいたいと思いながらページをめくるのだ。


チャンドラーは、私にとっては、腕のいい魔法使いなのかも知れない。