『我らがムーヴィー・クイーン』 ゼルダ・フィッツジェラルド
ゼルダフィッツジェラルドの短編は、長編ほどには、理解に苦しむことはない。
短編は、筋を追うように書く必要があるので、本筋からはずれた余計なことを書く余裕がない。
だから、長編に比べると、短編は、プロットが理解しやすくなる。
ゼルダの作品は、長編よりは、短編のほうが評価されるのではないかと思われます。なぜ、短編のほうが読みやすく評価されるのかというと、この作品の場合は、夫であるスコット・フィッツジェラルドが1/3程度作品を書いていて、残りの2/3をゼルダが書いているからだ。いうなれば、二人の合作のようなものだ。
最初にこの作品は、スコット・フィッツジェラルドの名前で発表されている。
ミスコンテストで、優勝した主人公が映画の主役にとしても出演するはずだったのに、映画のプロジューサー側によって、彼女の出演場面が大幅にカットされていたので、編集しなおして、プロジューサー側を見返すというような内容です。
小説というのは、作家が頭の中のイメージを言葉で表現しようとする試みだけど、言葉からイメージするものは、読者それぞれによって違ってきて、百人百様ということになる。
言葉だけでは、作家の意図するイメージを読者が描けないことがある。
そういう部分は適度に読みも飛ばしてもいい。
作家の生きた年代と、国と、体験は、読者とは全く違うものだから、完璧に読者が、作家の言葉のイメージを再現できないのは当然のこと。
おおむね、物語のストーリーを理解できればいいはずです。
小説は、純文学であっても、基本的には、エンターテイメントであるべきだと思う。
読者が、歯医者の待合室での空虚な時間を小説を読むことによって、有意義な時間に変えることができれば、その小説は評価されたと考えるべきだろう。