感性とは
感性とは、とても曖昧で個人的なものだから、言葉で説明することは難しい。
たとえばここに、一本の黄色い鉛筆があったとしよう。
鉛筆は、緑色でなければいけないという人がいる。
茶色のほうがいいという人がいる。
鉛筆の基本的な役目は、きちんと、紙の上に鉛筆としての色をのせることができるかどうかだ。
分かりやすく言えば、感性とは、個人的な判断基準ということだろう。
もっと単純化すると、好きか嫌いかということだ。
感性は、いうなれば、個性、あるいは、人格と言い換えてもていい。
人格は、その人が生まれてから、現在までどういう環境に置かれていたのか、あるいは、どういう遺伝的形質をもっているのかということによって決定されるものだろう。
ということは、個性と、人格は、その人固有のものだから、決定的に
感性が、余すところなく、十全に一致するということはありえない。
ただ、嗜好の方向性ということでは、ある部分では他者の感性と自分の感性が一致するということはありえる。
おおむね、価値観というものが、嗜好の方向性と大いに関連があるのではないかと思われる。
価値観を形成する大きな要因は、教育と、学習だろうと思われる。
同じような教育を受ければ、価値観の大骨は類似してくるはずだ。
人の成長過程において、教育的観点から、重要な時期は、幼児期の三歳までと、成人を迎える二十歳前後だろうと思われる。
その時期に、どういう環境で、どういう教育をされるかによって、個性と、人格、世界に対する見方、すなわち、価値観と感性が形成されるのではないかと思われる。
結局、あーだ、こーだと言っても、感性などという甘い響きの言葉は捉えどころのない口実のようなもので、あらゆる創造的不一致は、“感性が違う”という言葉によって、何かしら高邁な哲学的観念が付与されることによって、ある種の優越感に浸りながら、納得してしまう。
こんなふうに書いてしまうと、さらに、感性の意味が分からなくなってしまう。
というよりは、分からなくしてしまうということが目的なら、その策略はうまくいったのかも知れない。