一度向き合わないといけない
過去の棚卸し
よかったら読んでね❤️
私は37歳の時に適応障害になりました
今は楽しく暮らしてるけど
今は考えられないこともあったんだよーw
私が倒れた日
人生の向きが変わった日。。。
その2週間前には
美術館のコーディネートの仕事をして
立ち上げ後すぐに
大きめのイベントがあった
この2週間というスパンは
はじめてで
ちゃんと準備はしていたものの
やはり体にこたえた
美術館を立ち上げたあと
「もういいよ、もういいよ、充分、充分」
って声がどこからともなくする
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会社はパワハラだったから
私も不感症っていうぐらい
何も聞こえない
何もみえない
笑っていようとした
やってもやっても
認めてもらえなかった
今はね宇宙の法則をしっているから
何をどうしたらいいか
体感でわかるけど
その時は神の存在、宇宙の存在って
無視してたんだ。
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体の中から聞こえる声
たしかに聞こえていた
私は直感でこれが最後っておもった
会社員なのに最後とかってないのにね
地元から親を呼び
飛行機の手配をして
はるばる山奥の美術館まで来てもらった
親と別れてから
右の顔を力いっぱい押さえていた
自分が顔面麻痺になるのを
必死でとめていたんだ
すごい無理した
親にも無理させて
私も無理した、でも
デザイン学校を出させてくれたから
みせたかったんだ
どうしても。。
どうしても!
美術館の仕事が終わって
次のイベントの準備をしている中
出張に私を連れて行かないって
声が聞こえてきた
こんなに制作に力入れてきたのに
連れていかない。。
あり得ないんですけど〜
そのイベントのための出張の3日前に
私は急に具合が悪くなり
机に山盛りの資料を残したまま
会社を出た
急に寒くなった12月
地下鉄に降りる階段にたどり着く前に
道路で倒れ込んだ
自分から何かがでている
脳と体と神経が分離していた
大量にリバースし
電車にのって座れば家に着くだろうとおもっていたが
今回はどうも違う
途中の駅でおりて
駅員さんに医務室で寝かせてもらえるようにお願いした。
1時間たって救急車を呼ばれ
はじめて救急車に乗った
どこをどう走っていたんだろう
ここは東京だなーと
なぜか思っていた
黒くて冷たくてクールな東京
夜間病院に運ばれてて
検査していたけど
何も出てこない
夜間病院は暖かいし
寝てるから
私も大丈夫なのかなっておもってたら
帰ってくださいっていわれた
でもまだ気分が悪い
でも帰ってくださいって
言われる
起き上がった瞬間
私の体が分離していた
脳は異臭をはなつ感覚がした
トイレに駆け込み
リバースしまくった
体の中がぼろぼろだった
何もないけど
お会計をすませ
何もないっていったのに
処方箋を出され
薬局に行き
薬をもらった
その時間深夜3時ごろだったと思う。
こんなに遅くに働いているんだなって思った。
タクシーを止めて
家までかえる。
タクシーを待ってる間も寒くて寒くて
タクシーに乗って
後部座席で寝かせてもらっていた
やはり具合が悪い
あとちょっと
あとちょっとって
言い聞かせながら
ごまかしていたけど
やっぱり無理だった
タクシーを止めて降りて
リバース
間に合わず服が濡れた
声も出せないぐらいになった
無言でタクシーにお金を外から払って
タクシーには行ってもらった
深夜3時半
極寒の中
濡れた服
どう考えても
人生最悪の日
さー歩いて帰ろうって
思えたんだよね
あの時の自分の生命力は
私のクリエイティブの
根本を支えているんだ
今は手放せる
今はそんな強さいらない
だけど
その時はそれがないと生きていけなかったんだ。
東京の中でも大きな橋
高低差も割とあって
海風が濡れた服をさらに
0度近くにもっていくww
真っ暗じゃないとこが
東京のいいとこ
たまーにジョギング中の人に追い抜かれるけど
怖いっ怖い!
そんな夜中に
歩いて家に帰った
1時間は歩いたかな?
濡れた服、寒い冬のよる
皮膚は凍傷ぎみっつ!笑
※文字間違い、読みにくいとこ、たくさんありますが全部書き終わったら
なおしまーす。アウトプットさせてね。