父方の祖母は90歳でした。
しかし、殆ど馴染みのなかった母方の祖母は67歳でその人生を閉じました。祖母とどれくらい馴染みが無かったかと言いますと、まず私は母方の祖母の下の名前を知りません。
母と祖母について話しても、おばあちゃんもしくはお母さんのお母さんで済んでしまいますから覚えられなかったのです。
この頃、母よりむしろ縁薄かった祖母に思いが至るのは一
その祖母の年に近付いて来たからに他なりません…。
後、一年あまりで母方の祖母と同い年になります。
私が赤ん坊の頃に祖母に抱かれている写真を見た事があります。
祖母は老けていました。
母は全体的な姿や雰囲気は祖母に似ていましたが、顔立ちは祖父に似ていた様に思います。
祖母は目がぱっちりとした人でした。
気性も母とは違って穏やかな人ではなかったかと思います。
といいますか、祖母の世代の女性は非常に社会に対する可動率が低くてただひたすらに控えめに生きる事を望まれていた為だと思われます。祖母もその社会的流れに従って流されるがままに生きていた人生と言えなくもありません。
まさに今の私とそっくりです。今は、女でもそうした生き方をすると批判的な目で見られる世の中になってきたのがちょっとしんどいおばさんです。
でも、私は母方の祖母とほぼ同じ人生を歩いて来たのだと痛感する今日この頃です。
単に祖母が召された年齢に近付いてきたからだけではなく、祖母が私の人生の映し鏡だったから祖母に思いを馳せる様になってきたのかもしれません。
なんだかこのブログを書いていてそう思うようになりました。おばあちゃん、もう少ししたら私もそちらにいくからね。
でも、出来れば2度目のオリンピックは観たいな。
それでもって、おばあちゃんがおぼつかなくなった時に小遣い欲しさにおばあちゃんに媚びるようなセリフを親戚の人に伝言したあさましい孫娘をどうか許してください。ごめんなさい。でも、おばあちゃんの事本当に心配だったのも事実だから堪忍してね一。
長々と失礼しました。
しかし、殆ど馴染みのなかった母方の祖母は67歳でその人生を閉じました。祖母とどれくらい馴染みが無かったかと言いますと、まず私は母方の祖母の下の名前を知りません。
母と祖母について話しても、おばあちゃんもしくはお母さんのお母さんで済んでしまいますから覚えられなかったのです。
この頃、母よりむしろ縁薄かった祖母に思いが至るのは一
その祖母の年に近付いて来たからに他なりません…。
後、一年あまりで母方の祖母と同い年になります。
私が赤ん坊の頃に祖母に抱かれている写真を見た事があります。
祖母は老けていました。
母は全体的な姿や雰囲気は祖母に似ていましたが、顔立ちは祖父に似ていた様に思います。
祖母は目がぱっちりとした人でした。
気性も母とは違って穏やかな人ではなかったかと思います。
といいますか、祖母の世代の女性は非常に社会に対する可動率が低くてただひたすらに控えめに生きる事を望まれていた為だと思われます。祖母もその社会的流れに従って流されるがままに生きていた人生と言えなくもありません。
まさに今の私とそっくりです。今は、女でもそうした生き方をすると批判的な目で見られる世の中になってきたのがちょっとしんどいおばさんです。
でも、私は母方の祖母とほぼ同じ人生を歩いて来たのだと痛感する今日この頃です。
単に祖母が召された年齢に近付いてきたからだけではなく、祖母が私の人生の映し鏡だったから祖母に思いを馳せる様になってきたのかもしれません。
なんだかこのブログを書いていてそう思うようになりました。おばあちゃん、もう少ししたら私もそちらにいくからね。
でも、出来れば2度目のオリンピックは観たいな。
それでもって、おばあちゃんがおぼつかなくなった時に小遣い欲しさにおばあちゃんに媚びるようなセリフを親戚の人に伝言したあさましい孫娘をどうか許してください。ごめんなさい。でも、おばあちゃんの事本当に心配だったのも事実だから堪忍してね一。
長々と失礼しました。