この記事は、ムスコが低学年からお世話になっている「理数系専門塾エルカミノ」の思い出記事ですうさぎ

 

少しずつ高学年の話も交えていますが、

渦中にいても「思い出」投稿を書くという謎スタンスで続けます笑

できる限り、更新できるよう努めますのであたたかく見守っていただけるとありがたいです。

 

気になる方は、ぜひ体験へ行ってみてくださいねランニング

 

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今回は、「子どもへの向き合い方」について考えてみたいと思います。

 

 

昨年度、ムスコ赤ちゃんの小学校の担任の先生は、

とても"変わった先生"でした(笑)

どことなくふわ〜っとしていておすましペガサス、自己啓発が大好きで、とにかく自由な人でした。

 

その先生の主だった特徴を挙げてみると、

 

・宿題なし!

 (学校/学年として統一した宿題はあるものの、クラスとしては必須ではない)

 

・授業をしない!先生は授業のときはファシリテータ役に徹する

 (冒頭でその日のゴールを示すのみ。わからない場合は「わかりそうな人」の見当をつけて、

 3人以上に聞いても解決しない場合に初めて先生にヘルプOK)

 

・「宿題=自分に必要なこと」だと日々子どもたちに言う

 (取り組みに、計画/テスト/分析/練習のサイクル「けテぶれ」要素が含まれていれば、

  塾の宿題でも、お絵かきでも、自由研究のようなものでも、なんでもOK)

 

・係活動を会社経営とみなしたクラス運営をする

 (必要な係を作ればいいし、他の係との兼任(副業)も移動(転職、ヘッドハンティング)も可能。

  稼ぎが何かを定義(係として何を貢献すれば○○点とするか?を決める)してポイント化。

  あらかじめポイントが貯まれば、それぞれこ係が好きなタイミングで発動できる)

 

他にもいろいろとありますが・・・長くなるので割愛します。

最近、巷で(実験的に)こういうスタイルの先生が増えているとも聞くので、昨年度を思い出しながら書いてみたものの・・・・・・まぁ、従来の学校教育ではないですね。

 


そして、興味深いことに、

この先生に対する保護者の反応が、一昨年度と昨年度では大きく違ったようなのです。

 


一昨年度にその先生が受け持ったクラスでは、

保護者から非難轟轟、懇談会相当の集まりでも「なぜ○○してくれないのか」などバッシング中心だったとのこと・・・


一方、我が家がお世話になった昨年度のクラスでは、

おおむね先生のスタイルを肯定的にとらえていて、私お母さんをはじめとする(笑)「大ファン」が複数家庭現れるほどでした。

 


このクラスを卒業、つまり、5年生に進級して約2か月が経ち、

ムスコ赤ちゃんがお世話になっている塾である

エルカミノのスタイルと、大方針が似ている

のでは?ということに気がつきました。

 

見て取れる共通点は大きく2つ。


1つ目は、

一見放任主義にみえて、子どもたち一人ひとりのことをよ〜く見ているということ。



2つ目は、

いつでも、子ども本人が主体になっている

ということ。

 

 

キーワードはズバリ、

「積極的放置」

適切な距離を保ち、介入は最低限。

ただし、実はよく子どものことを見ていて、

ここぞという時には、ポジティブなフィードバックでやる気にさせるアップ

 

 

例えば、

低学年のパズルでは、

最低限のチュートリアルで演習に入り、そこからは「積極的放置」。

多少悩んだくらいでは見向きもせず(笑)、

本当に必要なとき(必要だと判断したとき)のみ手助けをするスタイルでした。

 


高学年の4科授業でも、

先生により多少の差こそあれ、多くのケースでははじめに与える情報は最低限。

演習に比重をおいた授業で、先生が丁寧に解説するというよりは、

生徒に解説をさせ、そこで満たせなかった部分のフィードバックやさらなる別解を紹介する。(ムスコ赤ちゃん談)


 

学習に行きづまりそうになった時、

保護者がちょっと助けを求めても、「積極的放置」笑い泣き

 


おい、ウソだろ・・・回答くれよ・・・とたびたび思いましたが、

(口が悪くてスミマセン…でも本心です。笑)

(エルカミノファンでなければ、転塾も考えて‥いや、行動に移していたでしょう…いや、本当ですよ。汗)

子ども自身が質問することを大事にしており、

その後にはちゃんとフォローがありました。



回答を、返信を、忘れていたわけではないという理解で良いのですね。。。チュー

あなたは昔からそういうスタイルでしたものね・・・

(先輩や卒業生、同学年校舎の仲間のなかにはやや違うタイプの先生もいらっしゃるようですが、

エルカミノの、いわゆるベテラン先生には、このスタイル・・・が多いような印象を持っています。)

 


 

どんなに先生や塾や保護者といった周りの大人が介入しても、

当の本人が「自分ごと」になっていないと得るものも少ないということが前提になっており、

だからこそ「じっと待つ、見守る」ということなのでしょう。


その点においては、

親のサポートによって「いい子」でいる子よりも、

今はやる気がなかったりいま一歩力を発揮できていない子や、

自分でつまずきながらも立ち上がろうともがいている子に対するサポートもものすごく手厚いです。



ああ、ガチ伴走をしようとして

幾度となく衝突し、迷走を続けている私お母さんには

耳が痛い話、、、いや直視したくない現実であります。


 

5年生の今になってあらためて思いますよ。

ああ、我が家はそういう塾(学び舎)を数ある中で積極的に選んだのだ・・・と。

 

それこそ、

学校の先生は年度ごと(持ち上がりの場合は2学年ごと)に替わりますが、

塾は各家庭の判断でいくらでも選べるし替えられるものです。

浮気(掛け持ち)だってできる。

でも、親がここだと思っても、子の実感として「ココジャナイ」というのもある。

 


もっと面倒見のよい塾にすればよかったかな…

もっと大人数でワイワイやる塾にすればよかったかな…

○○に対応している塾にすればよかったかな…

他塾の生徒さんはもっとやってるよな…

大手塾ではないゆえの不安や焦りは、計り知れないものです。

 

 

そででも、さまざまな葛藤の末で

ここうさぎを選んだ理由があるし、

ちょっとやそっとイラっプンプンとする案件があっても

(ほら…どんなにお気に入りのものに対しても、不満はゼロではないでしょう?笑)

期待しているものがあるから、通わせ続けるのです。

 

 

上述した学校のケースの"一昨年度の保護者"の大半は、

「積極的放置」に耐えられず、かつ、そのスタイルを望まなかったということでしょう。

それは単に、考え方の違い。

どちらがいいとか、悪いとかいうことではないと思っています。


 

好き嫌いがこれほどまでに分かれる学校の先生も気の毒なものですが(苦笑)、

尖っていなければ、あの先生の良さは発揮できないです。

同様に、尖っていなければ、エルカミノではないと思うのです。

 

 

5年の山場が近づいてきた今、

親として子どもにどうかかわり、

塾とどう付き合っていくか、

日々の悩みごとは尽きませんが・・・

意図ある「積極的放置」に腐らず過ごしていこうと思いますアップ