この記事は、ムスコが低学年からお世話になっている「理数系専門塾エルカミノ」の思い出記事です
少しずつ高学年の話も交えていますが、
渦中にいても「思い出」投稿を書くという謎スタンスで続けます
できる限り、更新できるよう努めますのであたたかく見守っていただけるとありがたいです。
気になる方は、ぜひ体験へ行ってみてくださいね
名実ともに「5年生」に進級した4月某日のことです。
「担任ガチャ」も当たりくじ、仲良しの友だちも同じクラス、
新年度はおおむね好スタートのように思えていました。
いつになく学校でのようすを楽しそうに話すムスコが、
突然、放課後に悲しげな表情でぽつりぽつりと話し始めたのです。
話の趣旨としてはこうです。
「最近、ぼくが字を書くたびに、『○○の字はきったねーな』『読めないよ』って言われるようになったんだ。
自分のためのメモとかノートは、自分がわかるように書けばいいんじゃないの?
人に見せるものを、誤解がないように、自分なりに丁寧に書けばいいんだよね??」
言い終える頃には、シクシクと涙を見せていました・・・。
まあ、いつも丁寧に字を書くように指導していれば、
いつも丁寧な字が書ければこんな悩みはないのでしょうが・・・
「自分が関係ないと思っている人たち」に、あーだこーだとはやしたてられては、
多くの場合、よい気持ちはしないでしょう。
私はこのとき、ムスコの話をききながら、
エルカミノで教えてくれたことをちゃんと覚えていて、体現しているんだな…
と感じました。
低学年時のエルカミノでは、折に触れて
「すべての文字を丁寧な字で書く必要はありません。
筆記のスピードが、思考のスピードに追い付かない子も一定数います。
ただし、漢字練習のときだけは、丁寧に書くように促してください」
という趣旨の指導(アドバイス)がされています。
これは、代表の書籍などでも言及されていることだったと記憶しています。
我が家でも、漢字以外の字形がはちゃめちゃなことやとっ散らかった問題用紙についてはあまりぐちぐち言わないようにしてきたつもりです。
(もちろん、家庭学習で親がマルつけをするもののうち、判読できないレベルであれば都度言いますよ・・・あと、自分でマルつけするもので、間違っているのにマルをして上機嫌になっている時・・・)
そのおかげか(?)、
デジタル採点がある塾内テストや他塾公開テストで判別不能な汚字による減点は今までありませんでした。
さらに言えば、高学年になると、塾からはプラスアルファの指示があるのですが、
(教材や保護者会でオープンにされている内容なので、ここでは書き控えます)
知らず知らずのうちに、
子ども本人がその気になっている時には、(←ココ重要!)
算数でも思考のプロセス(式や図、考え方など)を書き記し、
第三者が読める字やレイアウトで書き記すことができるようになっていました。
(これは子どもの精神的な成長や元々の特性もあるでしょうし、あくまで「我が家の場合は」という一例に過ぎないのですが・・・)
そんな環境で成長してきたこともあり、件の学校でのやり取りをなんだかなぁと思いながら悶々と過ごしていたところ、、、、
数日後に、なんと素敵な後日談が舞い込んだのです!
いつもはわりと物静かなタイプのクラスメイトが、
「○○の字・・きったねーな」と、チクチク言われ続けたところに、
割って入ってくれたというのです。
「ちょっと待って。○○の字がきたないっていうけどさ、
ちゃんと書かなきゃいけないときは、書けてると思うよ??
○○は頭で考えていることがあって、速く次に行きたいんだけど書ききれなくて、それで雑になっちゃうんだよ。
汚く書きたくて書いてるんじゃないよ。」
・・・・あなた、エルカミノ星からやってきた天使ですか???
と言わんばかりの救いの言葉でした。
いやあ、よい友達にめぐまれてよかった。
ムスコもこの出来事を、とても嬉しそうに報告してくれました。
彼には、若干の特性があり、人前ではあいさつも自己紹介もなかなかできず、
なにか琴線に触れることがあると発狂してしまうお子さんです。
そんな彼が、ここまでのことを複数人の前で落ち着いて言語化するのは、
相当な勇気が必要だったことでしょう。
そのやり取りをムスコから聞き、後日、彼の親御さんと接触する機会があったので、丁重に感謝の気持ちを伝えました。
すると、その親御さんも、ご子息のその行動にはとても驚かれていました。
親が見ていないところで、子どもはどんどん成長しているのですね。
中受沼にいると、気づけばヘリコプターペアレント的な振る舞いが多くなりがち。
でも、当然ながら、彼らには彼らの世界があり、
成長にともなって、友達とのトラブルもあれば、意外なところで救われることもあります。
ムスコの救世主に、ありがとう。
そして、いつも丁寧に字を書かなくてよいと、
随所でムスコの学習の心の支えになっていたエルカミノに、ありがとう。
これからもイラっとすることは山ほどあるでしょうし、
そのたびに自分の憂さ晴らしをするべくグチグチガミガミ言ってしまいそうになるでしょう。
でも、もしかしたらその一言やその行動が、日々がんばる子どもを知らず知らずのうちに傷つけていることがあるのでは・・・?と気づかされました。
我が子といえど、ひとりの人間として真摯に接していくように心がけなくてはな…と感じた経験でした