■2008年4月1日
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今夜の武田勝のピッチングは、圧巻だった。絶妙のコントロールと緩急をつけたコンビネーションピッチングに、ホークス打線のタイミングは最後まで全く合わなかった。6回、1アウトから9番・井手にアンラッキーな左前2塁打を与えた以外は、一切のスキを見せない安定した投球。昨年のクライマックス、日本シリーズと苦しみ悩んだ武田勝は、これで完全復活したといっていいだろう。
「大事な試合と思えば思うほど余計な力が入り、自分を見失っていた」と、不本意な登板ばかりだった昨年のシーズン終盤を振り返る武田勝。相手打者から投球のクセを盗まれているとの情報が入ると、オフには女房役の高橋信二が打席に立ち、意見をもらいながら、ブルペンでフォームの修正に着手した。今シーズンは、モーションに入ると上体をやや屈み気味にし、打者からボールが見づらくなる投げ方にチェンジ。昨年後半は力勝負にいこうと、知らずのうちに腕の使い方にも無駄な動きを生んでいたそうだが、原点に立ち帰って社会人時代のシンプルな連動作を再び取り入れた。「結局、自分らしくあり続けることが一番大事だと思った。」
実は、社会人・シダックス時代も一時期極度のスランプに陥り、一度はアンダースローにもトライしたことがあるという。苦しみの中から確固たるスタイルを築き上げプロ入りのきっかけをつかんだ。「僕は窮地に立たされてはじめて成長できるタイプですから」と語る武田勝は、自身二度目のピンチだった昨年後半のスランプを今シーズン飛躍への肥やしに変える手ごたえを得ていたようだ。
今日の試合を見守った山田GMは、2005年、球団によって評価の分かれた武田勝獲得の意思をシダックス・野村監督(当時。現・楽天監督)に伝えにいった。すると、「あいつ(武田勝)は絶対にプロで通用するから安心しろ」と太鼓判を押されたという。常に向上心を忘れない武田勝は逆境に強いという評価を野村監督は与えていた。その評価は正しかった。武田勝の進化は、まだまだ止まらない。
■2008年6月29日
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何不自由なく投げられる。当たり前のことが純粋にうれしかった。4月29日に左手親指を骨折し、2ヶ月ぶりの1軍登板となった武田勝が6回をわずか4安打1失点に抑え、利き手の故障とは裏腹に今季成績は“無傷”の4勝目だ。「最初は力ばっかり入っていましたけど、大量点のお陰で自分のリズムを取り戻せました。」先発直前の練習中に離脱した時、緊急登板したスウィーニーが好投。恩返しとばかりに復帰戦できっちり役目を果たした。
2年前も左手親指の付け根に打球を受けて骨折しているが、手術を受けたのは人生で今回が初めての経験。「シャワーを浴びても石鹸をうまく流せないし、食事も苦労しました」。そんな心を癒してくれたのは3月から飼い始めたスコティッシュホールドのみー太郎君だった。「嫁さんがえさをあげたりする世話係をしてくれて、僕はいつも遊びたい時に遊んでくれるいい人だと思ってくれているはずです。」
車のギアチェンジもリハビリの一環として考え、左手が治った時には万全で投げられるよう体の他の部分も鍛えてきた。2年前に骨折した時は新人だったため周りに気を配る余裕もなかったが、今回は置かれている立場をわきまえ若手に出来る限りのアドバイスを送ってきたという。
恩は恩となって返ってくるものだ。5回までに4本のタイムリーと犠牲フライ1本で5点を奪い、コメントをベンチに取りにいくとどの選手も「きょうは勝の復帰戦だから、1点でも多く」と口をそろえた。守りでも田中賢や糸井がダイビングキャッチを見せて盛り立て、がっちりまとまりを見せたファイターズ。梨田監督が後半のキーマンに挙げる左腕の復活は半月の長い遠征を締めくくる最高のニュースとなった。
■2009年4月16日
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ひょうひょうとしたマウンド裁きとは打って変わり、最後の打者を打ち取った武田勝選手がマウンド上でまごついているように見えました。「マサル、完投したことがないからキャッチャーの方に行っていいのか、どうしていいのか分かんなかったんだって!」とベンチに戻った金子誠選手が笑っています。この日が今季初登板だった左腕にとりプロ4年目で初の完投勝利。戸惑う姿が未知の領域を踏破したという事実を物語っていました。 3月7日、ナゴヤドームでのオープン戦に先発した後でした。持病とはいえ、開幕前の大事な時期に扁桃腺炎で戦線離脱。調整途上で失った5日間は計り知れないものがありました。結局オープン戦後は、ファームでの調整を余儀なくされたのです。
そして今日、武田勝選手にも2009年のシーズン開幕が訪れました。吉井投手コーチも「今日が勝の開幕や。思い通りに投げてこい」と快く送り出してくれました。「開幕に出遅れているという焦りもありましたし、ファームでも打ち込まれていましたから、悪いものは出し切ったと開き直りました」と背番号38。マウンドさばきを見る限りではいつもどおりの飄々としたピッチング。4回の先頭打者に安打を許した後は緩急をつけたボールを低めに集め、打者12人を連続で打ち取る素晴らしい投球で「ローズの一発の後、信二(高橋選手)とも話して、ボールを低めに集める意識を強くしました」と話していました。
ファイターズ打線も先制を許したすぐ後に4点を挙げ、武田勝選手をバックアップ。8安打ながら四球で走者をためて内野ゴロや犠飛、敵失に重盗と効率よく得点を挙げました。以前から初完投勝利のときは被り物をかぶってお立ち台に上がると話していたものの、さすがに初登板の今回は広報と事前の打ち合わせもできず、次回へ持ち越しとなりました。しかし今日の登板を見る限り、その日は意外に近いかもしれません。
■2009年6月7日
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神宮の杜のまとわりつくような蒸し暑さも苦にせず、武田勝選手がクールな表情のまま燕打線を手玉に取っていきました。4回まで1人の走者も許さず、5回に2本の安打を浴びた以外は7回1死で降板するまで全く危なげなし。無失点で先発の役目を果たすと「低めに変化球を集める、課題にしていたことが最後までやり通せて何よりです」と安堵の言葉を口にしました。
先発の一角を担っていながら、寡黙な性格が災いしてか時に存在が希薄になることも…。5月初旬にローテーションを再編するにあたって一度ファームで調整登板した後に再合流。札幌ドームでロッカー内を挨拶回りしても、稲葉選手や坪井選手からは「マサル、いたやろ?あれ、いなかったっけ?」と返されていました。その反面、今季途中からファイターズOBの武田一浩さんの勧めで「イーストン」という米国メーカーのグラブを愛用開始。「日本で使うのは僕が初めてらしいですし、気に入っています」と真っ赤な商売道具でさりげなく自己主張が込められていました。
試合前、母校・立正大が東都リーグの1、2部入れ替え戦に先勝したことも追い風に「神宮は大学、社会人で慣れたマウンドでしたからね」と笑顔。プロ初完封は次回以降に持ち越しとなりましたが、存在感をひと際大きくするに十分なピッチングだったことは言うまでもありません
■2009年7月1日
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(中略)
2連敗中だった先発・武田勝選手は先週、夫人が盲腸で入院したそうですが「(愛猫の)みー太郎の世話をたくさんしたら飼い始めて1年たって仲良くなれました」とか。心が通い合えば壁を破れる、とは言い過ぎかも知れませんが、投打にかみ合うファイターズを見ればそんな風に思えてきます
■2009年9月15日
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簡単に崩れるわけに行かないと自らを奮い立たせました。2回までに2点を失った先発の武田勝選手でしたが、4回以降は一人の走者も許さない完璧な内容で6回の逆転劇を呼び込みました。「きょうはある思いを持って投げましたので、素直によかったと思います」と昨季に並ぶ8勝目を挙げ、ほっとした表情を浮かべていました。
中9日のマウンド。実はこの間、夫人の実家で飼っていた猫が感染症によりわずか1歳でこの世を去っていました。自宅でも真っ白い猫を飼っているだけにショックは大きかったそう。「何とかウイニングボールを届けたいと。その一心でした」と登板後に胸の内を明かしてくれました。
このまま勢いづかせればイーグルスを優勝戦線に加えさせかねない大事な一戦でした。社会人時代の恩師、敵将の野村監督から今季4勝目と相性の良さを実証。踏ん張りどころとなる9連戦の初戦を哀悼の白星で飾り、チームも2連勝とV奪還への道のりを一気に加速させてくれそうです。