おはようございます。
SAYAKAです。



茨城の被害、ニュースで拝見いたしました。
行方不明者の方もいらっしゃるとのことで、
皆が無事であることを祈るばかりです。


自然災害というのは、
常に予想外の事態が起こるものだと思っています。

だからこそ、
万が一の場合を予測して、
その予測への対処を行う必要がある。


いかに予測し、予防できるか。
もし、予防しても予測事態が起きたとき、迅速に対応できるか。


これは、看護にも通じることだな、と。



「災害看護」



先週、記事で少し書かせていただいたかと思いますが、

ますますその必要性を感じます。







さぁ、前置きはこのへんにして、本題に入りましょう。





助産学校に進学するのか。

就職して、救急に進むのか。



こんなにブログを放置しているのに、
更新すると、
百単位でアクセスが増えて、

こんなにたくさんの人が見てくれているのだと実感します。


だからこそ、
自分の発することばに責任を持ちたい。

自分の決意を揺らがせてはいけない。






そういう思いで、一週間

「生」と「死」について考えました。



助産に進みたいと思ったきっかけ。



生まれるというキセキ。


そのキセキに立ち会える職種。


素晴らしい仕事なのだと、改めて感じさせられました。



でも、「生」と「死」は、紙一重。


赤ちゃんが生まれてくるときに、
お腹の中で、既に死んでいることもある。

赤ちゃんを産むために、お母さんの“命”を犠牲にすることもある。




私は考えました。


「生」に関わる、ということは、

「死」を見つめなければならないのではないか?





人がなぜ、生まれるということがキセキだと思えるのか。



それは、「死」というものが尊いもので、儚いものであるからではないだろうか。





それならば、


自分は、「生」に関わるために、

ヒトの「死」を見つめて、理解する必要があるのではないか。




「死」に対して、
自分なりの答えを出すことができたら、

「生」の素晴らしさをもっと実感できるし、
もっと命について真剣に向き合うことができる。




それに、助産は、赤ちゃんだけでなく、お母さんも見ていくものだから。



救急で、成人の「死」に触れて、勉強して、

“絶対に助ける”ための知識を身につけたい。





すべての「死」に対して、向き合うことは、


自分を強くする。



命の大切さについて知ることは、

これから命のろうそくに灯をともすお母さんに

命を背負う覚悟を示すことができるかもしれない。





だから私は、「助産師になるために」


救急に進みたいと思います。






この答えがでてから、


もやもやした気分がすっきりしました。





“目標が明確になったから”




あとはその目標に向かって、走るだけ。




スタートラインからの一歩が、ふみだせそうです。






そして、先程前置きで話していた災害看護。

今日、このニュースを見て、



予想外の事態に遭遇した人たちの命を

少しでも多く救いたい。


そう強く思いました。




この場を借りて、自分の決意を固めさせていただきます。






この先たくさんの死に向き合うことで、

たくさんの涙を流し、

倫理について考えていくことでしょう。


きっと、つらいこともたくさんあるでしょう。


でも、私は絶対にあきらめません。




救急に進んで、いつか助産師になる。





何も手につかなくなるくらい、たくさん迷いました。

そんな私に、
あたたかいお言葉、優しいコメントもいただき、
本当にありがとうございました。



こんな私ですが、
これからもどうか応援してくださるとうれしいです。




最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


SAYAKA



皆さん、お久しぶりです。
SAYAKAです。



今回ブログを書くにあたって記事を見直してみたら
以前更新したのが、3ヶ月前だと気づき、
もうそんなに経つのかと内心驚いています。


今回は完全に私事なので、
記事をスルーしていただいてもかまいません。

さやうたを書いているSAYAKAって
こんな人なんだ~ってのが分かるかもしれません(笑)

もしも、興味がありましたら、
最後まで読んでいってもらえるとうれしいです。


******


皆さんは、夏休みはどのように過ごされましたか?
ぐだっとしていた人も、毎日遊んだ人も、
中には仕事に大忙しだった人もいるかもしれませんね。



わたしはというと、夏休みは国試の勉強をしていました。

試験は2月なのに、
なんで夏休みから勉強してるのかって?


意識が高い学生だからではありません。(笑)

助産学校に進学するためです。





いつのころからかは忘れてしまいましたが、
助産師になりたい、と思うようになりました。


ヒトの生死に関わる仕事、看護師。

そのなかでも、“生”に携わる仕事が助産師です。


ヒトの命の誕生に関わる仕事がしたい。


ただ、それだけを考えて、私は助産師になるんだ!
と何の疑問も思わずに突っ走ってきました。



でも、一か月間勉強して、
ある日、ふと、思いました。


私は、何で助産師になりたいと思ったんだろう?と。




実のところ、三年の実習を終えてから、
救急という分野に関心をもつようになりました。


実習で唯一楽しかった実習が、急性期の実習で。
(手術後すぐの患者をみる実習)
確かに、助産の実習は赤ちゃんも可愛かったし、楽しかった。

でも、本当に面白いと思ったのは、急性期。
患者さんの状態が毎日変化して、
自分ができる看護はなにか考えるのが、本当に楽しかった。


東日本大震災のとき、
ボランティアとして被災地に赴いたときから、
災害看護に興味はありました。
いつか、DMATの一員として、働きたいと。

そして、DMATに入るためには、救急での経験が必須。



でも、助産と救急は、あまりにも対極にあって。

すごく悩みました。







助産の試験は一か月後。

だから、どっちに転んでもいいように、
夏休みは助産学の勉強をし続けました。




そして、いま。
なんで助産師になろうと思ったのか、
その理由が見当たりませんでした。


“なにか行動するときは、目的を明確に、根拠をもつこと”

看護師の基本中の基本です。



救急に行く目的はしっかりとしています。
じゃあ、助産は?









どっちも、大変なのは、分かっている。


やっと、看護師としてのスタートラインに立ったのに、
どの道を歩き出そうか、その一歩に躊躇している。




一分一秒のミスが許されない世界。

プレッシャー。




私の気持ちは決まりつつある。


でも、その背中を押してくれるのは、誰だろうか。


色んな人に相談して、
色んな意見を聞いた。


でも、最後は、自分で決めなきゃ。





この一か月は、決して無駄ではなかったんだろうと思います。





今週の日曜までには、答えを出したいかな。


また、来週あたりに報告しますね。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


落ち着いたら、いつも書くような記事に戻りたいと思っています。
それまで、あたたかく見守っていただけると幸いです。

SAYAKA


こんばんは、SAYAKAです。
お久しぶりですね。
皆様、お元気でしょうか?

沖縄は梅雨もあけたようで、
もう少ししたらジメジメとした日も終わり、
暑い夏がやってくるかと思うと
ちょっと憂鬱です(笑)

私はというと、実習で毎日記録に追われる日々でして、
なかなかブログを書く時間がありませんでした。
今日は、ちょっと思ったことを
つらつらとブログに書き残しておこうと思います。





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さてさて。
医療職として勉強させていただいていると、
人生って何なんだろうか
と考えさせられる場面が多々あります。



入院している患者の多くは高齢者で、
入院によってADL(自立度)が低下することが結構あります。

入院前は元気に歩いていたのに、
入院によるベッド上安静で、筋力が低下して、
手すりつたいに歩かないと転倒の危険性があるとか、
そういったことです。

(まあ、そういったことがないように、
入院中から理学療法士の方が
リハビリを行ってくれたりするのですが、)


自分の家族のことに置き換えてもらうと
分かりやすいと思うのですが、


自立度が低下した自分のおばあちゃんが

「自宅に帰りたい」と言ったとき、

あなたは退院後自宅で面倒を見ることができますか?



今までは普通に歩いていたおばあちゃんが歩けなくなる
ということは、生活に大きな変化をもたらします。


例えば、二世帯で住んでいる場合に、
今まで自分で家事をやってきたおばあちゃんが
洗濯ものを干すことができない
トイレに行けない
となるだけで、

家族はおばあちゃんの洗濯物を洗わなければならないし、
トイレに行くときに見守りが必要になるかもしれない。

今まで自分で買い物にいけていたのに、
それができないとなると、
買い物を代わりに行くことになったり、
一緒に買い物に行くにしても転倒の危険があるので
付き添いをしないといけない。


一人分やることが増えただけ
それくらいできるでしょ?

と思うかもしれませんが、
これが案外難しい。

家族は働いている人も多く、
日中は見てやれないことも多い。


転倒した場合、誰も助けてやれない。

家に帰ったら廊下に倒れているということも
今の世の中珍しくないのです。



自分のおばあちゃんだから、
見てあげたい。
と誰もが思っているわけではない。

それが今の現状と言ってもいいでしょう。




そんな中、「家に帰りたい」というおばあちゃんがいる。


おばあちゃんにとっては、
病院でもなく施設でもなく、“自宅”で生活したいと思っているし、



自宅で自由に過ごすことが、自分の人生であるし、
自分が生きてきた場所で余生を過ごしたいと思うのは当然のこと


しかし、それをみるのは、他でもない家族。




私は、実習で幾度となく、

施設に転院する高齢者をみてきたし、


病院に見舞いにくるときはすごく人当りがよく、
おじいちゃんの面倒みるのがんばりたいと言っていた家族が
実は自宅ではおじいちゃんと一言もしゃべっていなかった

など、衝撃的な事実を目の当たりにしました。



一方、高齢者の方はといえば、

息子の嫁が作る一日一食の弁当を
三回に分けて食べながら

うちの嫁はよくしてくれてる

と笑顔で語るんです。


一日一食ですよ?
客観的にみれば、それって虐待では?と思うのですが

それでも高齢者にとっては、一食でも自分のために
弁当を作ってくれるということ自体がうれしいのです。




この人にとって、生きるとは何なのか?

この人の人生に、医療者はどのように関わっていくのか。



実際、病院に勤めていると、
退院してしまうとなかなか介入できないのが現状であり、
地域連携をはかってはいるものの
まだまだ改善点は必要です。


生き方に、答えはないのです。

でも、だからこそ、私は、どのように関わっていくべきなのか、
たまに分からなくなります。

医療もそう。
この治療をすることが、果たして正解なのか。

手術をすることが本当に患者にとって良いことなのか。



答えのない世界に居続けると、
自分のめざす看護とは何か、考えさせられます。




でも、ひとつだけ分かることは、


その人が選んだ“答え”は、その人にとって“最善”であること。


正解ではなくて、最善なんですよね。



そして、実習を通して思ったのは、

私はその“最善”に対して精一杯の看護をしようってことです。




これは病気になったときだけでなく、
人生の岐路に立ったときにも言えることば。


人生の選択を迫られたとき、そこに正解はありません。


迷って迷ってあなたが選んだ“答え”はあなたにとって最善であり、
そこに誰かが口出しできるものではないと思います。


自分の道は、自分で歩むものだから。

人生は答えがないから面白いとよく言いますが、

正確には、

人生には正解がないから面白い

のだと思います。




なんか長々と書いていたら
何が言いたいのか分からなくなってしまいました。


まぁでも、
生き方って多種多様で、難しいなーって話です。(笑)



長くなってしまうので、
今日はこの辺で終わりにしたいと思います。


また落ち着いたらブログ更新しますね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


SAYAKA